吸血鬼パロディ ※R-15

 

【あらすじ】

 青年と共に廃屋へ来たアレグロは、彼の瞳を直視した途端に身体が動かなくなってしまう。

 吸血鬼であることを明かされ、牙を突き立てられそうになったとき、密かに後を追っていたシェントが二人の間に割って入った。

 

 ♪ ♪ ♪

 

「仕方ない、仕事のほうを優先するか」

「仕事……?」

 

 なんのことだ、とシェントが眉を(ひそ)めた直後。

 男の足元に落ちる影が長く伸び、幾条もの黒い帯となって床から湧き上がった。

 

「な――!?」 

 

 目の前の事態が飲み込めず怯むシェント。

 刹那、襲い来る影に四肢を捕らわれる。

 

「く、っそ!」

 

 慌てて影を引き千切ろうとするシェントだが、もがけばもがくほど拘束は強くなる。骨の軋む音まで聞こえた気がした。

 

(いっ)――」

 

 息もできないほどの痛みに気を取られていると、文字通り一瞬にして男が目と鼻の先に迫ってきた。彼は己の牙を見せつけるように口を開け、シェントの肩にそれを突き立てた。

 

「が――ッ!?」

 

 強烈な痛みと熱が肩から全身に突き抜けていく。身体を引き裂くような激痛にシェントは息を詰めた。

 

「あ、ぐ…………この……ッ」

「――やはり野郎の血は不味いな」

 

 薄れていく意識の中で、男が嘲笑うように呟いた。肩から牙を抜いて跳び退()さると同時に、彼の影が在るべき形に戻る。

 解放されたシェントはがくりと片膝を付いた。

 

「が、は……ッ、はあっ、は……」

 

 左胸を押さえ、荒い呼吸を繰り返す。体温の急激な上昇を感じる一方で、背中を冷たい汗が伝う。目が眩むほどの頭痛に襲われる中、シェントは忌々しげに男を睨み据えた。

 

「ど、く……か……ッ!?」

「いいえ? 身体が吸血鬼に成り変わるのですから、痛みくらいあるでしょうよ。それと――ムカついたので思いっきりキツく噛みました」

 

 男はシェントを見下ろしながら不敵な笑みを浮かべると、まだ動けずにいるアレグロに視線を移して歌うように続けた。

 

「あの男、すぐにでも貴女あなたの血を飲ませないと、このまま死んでしまいますよ?

 ――ああ、ご心配なく。異性に血を吸われても、吸血鬼にはなりません」

「――て、め……ッ、アレグロに……近づく、な」

「おや、まだ喋れましたか」

 

 嘲笑を浮かべる男を睨みつけたまま、シェントはハルバードを支えに立ち上がる。喉奥から込み上げてきたものを咳とともに吐き出せば、床に紅い花が散った。

 

「彼女にかけた術も解けますし、邪魔者(・・・)は退散するとしましょう」

 

 待て、と制止する暇もなかった。留め置いたところで反撃もできなかっただろう。男の姿は黒い(もや)に変わり、薄闇に溶けていった。

 シェントは安堵のため息を漏らし、崩れるようにその場に座り込む。

 

「――ッ、ごほっ! ぐ……」

「シェント!?」

 

 ようやく身体の自由を取り戻したアレグロは、うずくまって血を吐くシェントのもとへ転がるように駆けた。コートとブラウスを脱いで白いキャミソール姿になると、シェントの腰からナイフを奪いブラウスを切り裂いていく。 

 

「シェントも脱いで!」

「は……はあ!?」

「止血するから!!」

 

 彼女のキャミソールの下に、薄桃色の下着が透けて見えた。シェントは大きく嘆息し、渋々といったふうに上着を脱ぎ捨てた。

 裸になった上半身に、アレグロがブラウスで作った包帯を巻き付けていく。とりあえずの処置を済ませると、彼女はもう一度ナイフを手に取り、切っ先を自らの左腕に当てた。

 

「ば――!?」

 

 突然の奇行にシェントは慌てて彼女の手首を掴む。

 

「何やってんだバカ!」

「血が必要だって――」

「だからって自分を傷つける奴がいるか!!」

「で、も――」

 

 その緋色の瞳が揺れたかと思うと、彼女は駄々を()ねる子どものように叫んだ。

 

「……だって、やだ……っ! シェントが……シェントまで、死んじゃったら――」

「アレグロ……」

 

 ――自分まで、というのは〈コード〉の仲間を思い出しているのだろう。

 シェントは額を押さえて息を長く吐き出すと、ひとまずの案を口にした。 

 

「……指、いいか?」

「う、ん……」

 

 アレグロがすっと右手を差し出す。しかし彼は左手を掬い上げ、静かに顔を近づけた。

 まるで手の甲に口付けされるかのようで、場違いだとわかっていてもアレグロはどきりとしてしまう。

 

「痛かったら言って」 

 

 指の腹に牙のような犬歯が当たる。微かに身体を強張らせていると、牙が皮膚をぷつりと突き破った。思ったよりも痛みは感じず、裁縫中に誤って針を刺したかのようだった。

 

「痛くないか?」

 

 ちらりと見上げてきたシェントに硬い表情で問われ、アレグロは「うん」と頷いた。シェントは安心したように微笑し、再び指に牙を突き刺した。

 一拍遅れて、指先がじんと痺れ始める。むず痒さを感じながらもアレグロはシェントの旋毛(つむじ)をじっと見ていた。 

 

(シェントの舌、熱い……)

 

 時折、彼が口を開けて静かに息を吐き出す。その吐息に指先をくすぐられ、アレグロはどこか恥ずかしさを覚えた。

 初めこそ遠慮がちに血を吸っていたシェントも、気がつけば彼女の指に食らいついて血を(むさぼ)っていた。身体は少し楽になったが、意識はますます朦朧(もうろう)としてくる。

 

 ――身体の奥底からどろりと溢れ出す、醜い嫉妬心と独占欲。

 

 さっきの吸血鬼は――あの男は彼女を食らおうとしていた。他の誰かに取られるくらいならば、いっそのこと――

 

「――全部くれよ」

「え? ……あっ」

 

 アレグロの首に左腕を回すと、シェントは彼女を強引に抱き寄せた。

 右手でキャミソールの肩ひもを外し、彼女の長い髪を肩の後ろに払いながら、耳元で低く囁く。

 

「肩も、いいだろ……?」

「や――」

 

 アレグロはこぼしかけた拒絶の言葉を呑み込んだ。

 自分の血を吸わなければシェントは死んでしまう。彼を失うことに比べたら、肩を噛まれる痛みなど怖くないはずだ。

 それに――シェントを拒みかけたことを認めたくはなかった。いつもより強引で“らしくない”彼にアレグロは戸惑っていたのだ。 

 

 しかし彼は答えを待ってはくれなかった。

 ずぶり、と肩に牙が突き刺さる。

 

「痛、ぃ――!!」

 

 アレグロが小さく悲鳴を上げる。目には涙が浮かび、ぽろりとこぼれ落ちていく。

 

「ぅく……っ」 

 

 ひと息に貫いてくれればいいものを、まるで(なぶる)かのようにゆっくりと牙が沈み込んでくる。またも喉元まで迫り上げてきた悲鳴を呑み込んで、歯を食い縛りながら痛みに耐える。

 ややあって彼の唇が肩に触れ、アレグロはほっと胸をなでおろした。これ以上は牙も沈まないだろうと安堵した矢先、ふいに全身を稲妻が走り抜けた。

 

「あ、あぁ――っ!?」

 

 甘い痺れが身体中を駆け巡り、肌がぞわりと粟立つ。不思議と嫌悪感はないものの、未知の感覚に恐怖する。一瞬にして思考が散り、理由わけもわからず涙があふれ出した。

 この快楽に溺れてはいけない。バラバラになった理性を必死に繋ぎ合わせ、そしてアレグロはハッと目を見開いた。

 

 ――シェントに血を吸われ、快感を覚え始めている。

 

 倒錯的でいけないこと(・・・・・・)のように思えて、アレグロの顔が耳の先まで赤くなる。

 

「シェン、ト……っ、待って、……あっ、ふ……」

 

 全身から力が抜け、くたりとシェントにもたれかかる。身体の芯の部分がさらに甘く痺れたかと思うと、それが手足の先にまで広がっていく。アレグロはふるりと身悶えしながら、無意識のうちにシェントの背中に爪を立てた。

 

 シェントもまた、彼女の血の甘美さに打ち震えていた。

 彼女を激しく求めてしまうのも、吸血鬼の本能だというのか。頭の片隅にぼんやりと浮かんだ疑問を、しかし鼻で笑って一蹴する。

 

 ――きっとこれが、自分の本性なのだ。 

 

 シェントは血を啜るのを()めてアレグロを正視した。彼女の涙など見たくなかったはずなのに、もはや泣き顔すら愛しい。

 

 自分のせいで彼女が泣いている。

 自分の言動が彼女を泣かせている。

 

 彼女を征服している気になって。

 自分のものになったように錯覚して。

 

 ――シェントは再度アレグロの肩に牙を(うず)めると、片手をキャミソールの下に潜らせた。

 

「――っ!」

 

 アレグロが驚愕に小さく息を呑む。

 その様子を感じ取っていながら、シェントは手を背中に滑らせて下着のホックを外す。しがみついていた彼女の肩がびくりと跳ね上がった。

 

「や――っ!? なん、で――ああっ!」

 

 顔を上げたアレグロは、強く血を吸われて悲鳴とも嬌声ともつかない声を洩らした。

 

「やめ、て……シェント待って(・・・)――!」

 

 シェントの身体を引き剥がそうと全身で押してみるも、反対に両手首を強く掴まれ、腕を頭より上に上げさせられる。

 

「シェン、ト……?」

 

 懇願するようなアレグロの瞳を見て、しかしシェントは口の端を吊り上げた。彼女の両手首を片手でひとまとめに掴み直すと、もう片方の手を彼女の後頭部に回し、華奢な身体を床に押し倒した。

 アレグロの腕を押さえつけたまま、包帯代わりに巻いてもらった布を剥ぎ取る。布の端をアレグロの左手首に巻きつけると、もう一方の端をテーブルの脚に結びつけた。

 

「――初めから(・・・・)、こうすればよかったんだ」

 

 半年間、ずっと彼女を探し続けてきた。

 再び巡り会って、秘密を二人で共有して。それでも想いを伝えられずにいた。

 

 ――これ以上、待てるものか。

 

 アレグロの手に指を絡ませ、床に押しつける。空いている手でキャミソールを(めく)りあげれば、程よく締まりつつも柔らかそうな腹部が露わになった。

 シェントはキャミソールの下に手を差し入れ、隠されている部分を――なだらかな胸を撫でながら、掌で粒を転がした。

 

「あっ、ぃ、いやっ、やめ――」

 

 床に仰向けになったままアレグロが力なく首を横に振る。

 吸血によって快感を覚えてしまった身体は、わずかな刺激ですら(つぶさ)に拾うようになっていた。そのせいで、胸を触られるだけでも大げさなくらいに感じてしまう。

 ぴくりぴくりと身体を震わせながら、アレグロは涙に濡れた目でシェントを見上げた。

 

「しぇんとっ、もう――」

 

 何か言いかけた彼女の口を塞ぐため、シェントはそっと顔を寄せ、

 

「血は……っ、もう、いいの……?」

「え……」

 

 彼女の途切れ途切れの言葉に愕然と動きを止めた。 

 

「からだ……大丈、夫……」

「――ッ!」

 

 酷いことをしている自覚はあった。

 彼女に嫌われることを恐れていたくせに、今はいっそ嫌ってほしかった。

 

 ――だというのに、なおもアレグロは自分の身を案じてくれている。

 

「シェント、まだ……いつもと違う、から……」

 

 その痛いほどの健気さが、かえってシェントを責めたてる。

 罪悪感を振り払うように彼は意地悪く笑ってみせた。

 

「血、まだ吸ってほしいのか?」

「やだっ、……からだ、変になる……」

「…………あのなぁ……」

 

 すでに(たかぶ)っている状況で、その言葉は逆効果だ。

 生憎(あいにく)とこちらには余裕がない。今すぐにでも彼女が欲しいのだから。

 

「――悪いけど、今さら()められそうにねえや」

 

 (すが)るように見つめてくるアレグロに、「血は吸わないから」と囁いて胸の先端を軽く(つね)る。今度こそ唇を重ね、彼女の悲鳴を呑み込んだ。

 舌を()じ込んで狭い口内を蹂躙し、切なげに息をする彼女にシェントは自嘲気味に笑いかけた。

 

「いつもと変わらないよ、俺は……ずっとアレグロを、こうしたかった」

 


2019年