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 ――盲点だった。

 シェントは街中で「魔獣を見なかったか」とだけ聞いて回ったのだ。城門にまで足を運んだものの、警備兵もカルカンドの姿は見ていないと答えた。

 だが、森で魔獣を捕獲し、荷馬車で闘技場に運び入れていたのだとしたら。

 シェントは腕を組んで(うな)った。

 

「あのカルカンドは動きが鈍かったし、本来なら群れないんだってな? 麻酔か何かを打たれて、闘技場の檻に閉じ込められてたのかも」

 

 王都(ルーエ)が魔物に襲撃されたわけではないとわかって、ひとまずシェントは胸をなでおろした。それでも闘技場が、ひいてはアレグロがカルカンドに襲われたことに変わりはない。シェントの声が無意識に低くなる。

 

「いったい誰が何のために。あんな大勢が集まる場所で、アレグロまで巻き込んで」

「……シェント、そのことだが」

「ん、どうした?」

 

 そういえば、彼女に名前で呼ばれたのは初めてかもしれない。シェントは自然と居住まいを正した。

 

「ありが――」

「あのぅ……」

 

 アレグロの言葉に何者かの声が重なる。アレグロとシェントは(そろ)って振り返った。

 そこにいたのは同年代の少女だった。

 肩下まである亜麻色の髪は大きく波打っており、毛量の多さも相まって野暮(やぼ)ったい印象を受ける。彼女は長めの前髪をしきりに()でつけていた。

 

「こ、こんにちは。あなたがアレグロさんですか?」

 

 胡乱(うろん)げに少女を眺めていたアレグロが、名を呼ばれた途端に双眸を細くした。

 気圧(けお)されそうになったのか、少女が懸命に言葉を(つむ)ぐ。

 

「わた、し……っ、アレグロさんの試合を見て、それで……お願いがあるんです!」

「仕事か」

 

 アレグロは少女の「お願い」という単語にすぐさま反応した。

 魔獣退治や道中の護衛などは、冒険者組合(ギルド)を介して依頼するほうが安全だ。組合に登録されている冒険者――依頼を受ける側の総称――は、身元や腕前が保証されている。

 ただし仲介料などが上乗せされるため、費用を安く抑えるために、傭兵や魔獣狩人(ハンター)に直談判するのも一つの手であった。素性のわからない相手と契約する以上、反故(ほご)にされたり金を略奪されたりする危険性はあるのだが。

 

「はっ、はい! お二人に、道中の護衛を依頼したいのですが」

「どこまで」とアレグロが尋ねる横で、シェントは改めて少女の服装に目をやった。

 上半身をすっぽりと覆う碧色(へきしょく)のケープは、意匠(デザイン)こそ地味だが布地は安くなさそうだ。薄灰のハーフパンツと黒のハイソックスの間から覗く脚は陶磁のように白く、革のショートブーツには目立った汚れがない。貧しさとは縁遠そうな身なりである。

 

「リベラまで、です」

「リベラって、交易都市の?」

 

 口を挟んだのはシェントだ。

 交易拠点の一つとして知られているリベラは、〈ナ・リーゼ〉によって加工された科石が卸される場所でもある。

 

「はい。修理に出していた杖を受け取りに」

 

 杖は科術士専用の科器である。この気弱そうな少女は科術士を志望しているのか、とシェントは一人思案する。

 シェントのような科術使いとは異なり、科術士は免許(ライセンス)制である。

 師に()くという方法もあるが、大半は専門学校で理論や技術を修得してから、免許試験に(のぞ)む。

 その高額な学費を払えるくらいなのだから、家は裕福に違いない。親がリベラまで使いをやるか、娘に護衛をつけるかできるだろうに、なぜ少女自ら護衛を探しているのか。

 家出か、家族に大事にされていないのか――なんにせよ理由(わけ)ありだろう。だが、シェントはこの機を逃すわけにいかなかった。

 

「俺はその依頼、受けてもいいけど。アレグロは?」

「なぜ私に相談する。仲間(パーティー)でもないのに」

「でも、さっき『二人に』依頼したいって――」

 

 シェントは祈りに似た気持ちでアレグロを正視する。

 ともすると他人(ひと)を拒むような態度を見せる彼女だが、言動の端々に孤独や不安が表れていた。そのアレグロをシェントは一人にしておけなかった。

 もしかしたら少女のほうも、二人で旅をしていると思い込んでいるのかもしれない。シェントは自分とアレグロを指して少女に問いかける。

 

「なあ。俺とアレグロ、どっちに依頼してるんだ?」

「もしかして、一緒に旅をしているわけではないんですか?」

 

 期待通りの反応が返ってきて、シェントは半ば強引に話を進める。

 

「やっぱりそう思ってたんだな? ってことは、二人まとめて雇ってくれるみたいだぜ」

「……わかった、引き受ける。他にすることも、今は考えられないから」

 

 アレグロの口の()が小さく吊り上がる。痛々しいほどに自虐的な笑みだった。

 彼女から目を()らすように、シェントは亜麻色の髪の少女に片手を差し出した。

 

「俺はシェント、よろしくな。えっと……」

「ファル、ル――ファルルです。よろしくお願いします」

 

 消え入りそうな声で名乗って、ファルルはぎこちなく微笑(ほほえ)んだ。