9
――盲点だった。
シェントは街中で「魔獣を見なかったか」とだけ聞いて回ったのだ。城門にまで足を運んだものの、警備兵もカルカンドの姿は見ていないと答えた。
だが、森で魔獣を捕獲し、荷馬車で闘技場に運び入れていたのだとしたら。
シェントは腕を組んで唸った。
「あのカルカンドは動きが鈍かったし、本来なら群れないんだってな? 麻酔か何かを打たれて、闘技場の檻に閉じ込められてたのかも」
王都が魔物に襲撃されたわけではないとわかって、ひとまずシェントは胸をなでおろした。それでも闘技場が、ひいてはアレグロがカルカンドに襲われたことに変わりはない。シェントの声が無意識に低くなる。
「いったい誰が何のために。あんな大勢が集まる場所で、アレグロまで巻き込んで」
「……シェント、そのことだが」
「ん、どうした?」
そういえば、彼女に名前で呼ばれたのは初めてかもしれない。シェントは自然と居住まいを正した。
「ありが――」
「あのぅ……」
アレグロの言葉に何者かの声が重なる。アレグロとシェントは揃って振り返った。
そこにいたのは同年代の少女だった。
肩下まである亜麻色の髪は大きく波打っており、毛量の多さも相まって野暮ったい印象を受ける。彼女は長めの前髪をしきりに撫でつけていた。
「こ、こんにちは。あなたがアレグロさんですか?」
胡乱げに少女を眺めていたアレグロが、名を呼ばれた途端に双眸を細くした。
気圧されそうになったのか、少女が懸命に言葉を紡ぐ。
「わた、し……っ、アレグロさんの試合を見て、それで……お願いがあるんです!」
「仕事か」
アレグロは少女の「お願い」という単語にすぐさま反応した。
魔獣退治や道中の護衛などは、冒険者組合を介して依頼するほうが安全だ。組合に登録されている冒険者――依頼を受ける側の総称――は、身元や腕前が保証されている。
ただし仲介料などが上乗せされるため、費用を安く抑えるために、傭兵や魔獣狩人に直談判するのも一つの手であった。素性のわからない相手と契約する以上、反故にされたり金を略奪されたりする危険性はあるのだが。
「はっ、はい! お二人に、道中の護衛を依頼したいのですが」
「どこまで」とアレグロが尋ねる横で、シェントは改めて少女の服装に目をやった。
上半身をすっぽりと覆う碧色のケープは、意匠こそ地味だが布地は安くなさそうだ。薄灰のハーフパンツと黒のハイソックスの間から覗く脚は陶磁のように白く、革のショートブーツには目立った汚れがない。貧しさとは縁遠そうな身なりである。
「リベラまで、です」
「リベラって、交易都市の?」
口を挟んだのはシェントだ。
交易拠点の一つとして知られているリベラは、〈ナ・リーゼ〉によって加工された科石が卸される場所でもある。
「はい。修理に出していた杖を受け取りに」
杖は科術士専用の科器である。この気弱そうな少女は科術士を志望しているのか、とシェントは一人思案する。
シェントのような科術使いとは異なり、科術士は免許制である。
師に就くという方法もあるが、大半は専門学校で理論や技術を修得してから、免許試験に臨む。
その高額な学費を払えるくらいなのだから、家は裕福に違いない。親がリベラまで使いをやるか、娘に護衛をつけるかできるだろうに、なぜ少女自ら護衛を探しているのか。
家出か、家族に大事にされていないのか――なんにせよ理由ありだろう。だが、シェントはこの機を逃すわけにいかなかった。
「俺はその依頼、受けてもいいけど。アレグロは?」
「なぜ私に相談する。仲間でもないのに」
「でも、さっき『二人に』依頼したいって――」
シェントは祈りに似た気持ちでアレグロを正視する。
ともすると他人を拒むような態度を見せる彼女だが、言動の端々に孤独や不安が表れていた。そのアレグロをシェントは一人にしておけなかった。
もしかしたら少女のほうも、二人で旅をしていると思い込んでいるのかもしれない。シェントは自分とアレグロを指して少女に問いかける。
「なあ。俺とアレグロ、どっちに依頼してるんだ?」
「もしかして、一緒に旅をしているわけではないんですか?」
期待通りの反応が返ってきて、シェントは半ば強引に話を進める。
「やっぱりそう思ってたんだな? ってことは、二人まとめて雇ってくれるみたいだぜ」
「……わかった、引き受ける。他にすることも、今は考えられないから」
アレグロの口の端が小さく吊り上がる。痛々しいほどに自虐的な笑みだった。
彼女から目を逸らすように、シェントは亜麻色の髪の少女に片手を差し出した。
「俺はシェント、よろしくな。えっと……」
「ファル、ル――ファルルです。よろしくお願いします」
消え入りそうな声で名乗って、ファルルはぎこちなく微笑んだ。
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