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 グラツィオーソ城内、会議室。中央には長卓が鎮座し、それを十脚余りの椅子が取り囲んでいる。

 しかし席に着いているのは、軍服を着た四十代くらいの男と、眼鏡をかけた初老の男だけである。眼鏡の男――この国の宰相は、書類を淡々と読み上げていた。

 

「――被害状況の報告は以上でございます。続いて、事件発生の原因ですが……」

 

 シュトー宰相はここにきて初めて言い淀み、眼鏡を外した。昨日の武闘大会で起こった事件の原因は、手元の紙に記載がなかった。否、「現在調査中」なのである。

 彼の発言を引き継ぐように軍服の男が声を上げた。

 

「魔族だ! 魔族の仕業(しわざ)に決まってる! あいつら、とうとう我が国まで――」

「口を慎みなさい、マルツ将軍。陛下の御前ですぞ」

 

 シュトー宰相に制止され、マルツ将軍と呼ばれた男は軍服の襟を正した。

 そして、二人は(そろ)って長卓の奥の人物を見やる。

 他より豪奢な椅子に腰かける中年の男。白髪交じりの髪を()で上げ、鼻の下に髭を蓄えた彼こそ、テノール・グラツィオーソ――グラツィオーソ国の君主である。

 背もたれに体重を預けることもせず、姿勢正しく宰相の報告を聞いていた国王は、二人の視線に気づくと「魔族か」と呟いた。

 シュトー宰相が目を泳がせながら話を切り出した。

 

昨日(さくじつ)のカルカンドですが、街中での目撃情報がなく、闘技場に突然現れたそうです。魔獣が外から侵入してきたのではなく、あのカルカンドは魔物であった可能性が考えられます」

「そうは言っても、死体があった(・・・・・・)のであろう? 魔物は死体も残さない――死ねば消えるのではなかったのか?」

「魔物については〈ナ・リーゼ〉ですら『調査中』でございます。此度(こたび)の件で、魔物の定義も見直されるのではないでしょうか」

 

 魔物の定義。世界管理機関〈ナ・リーゼ〉によって定められたこれこそが、事態を複雑にしている要因でもあった。

 テノールは小さく(うな)り、「そもそも」と口を開く。

 

「魔物は魔術によって作り出されたものだと言われておるが、〈魔界大戦〉中でもあるまいし。術者の魔族がいないのに、どうして魔物など出現しようか」

「陛下! 失礼を承知で申し上げますが、魔族はいないと本当に言い切れるのでありましょうか?」

 

 語気を強めて口を挟んできたのはマルツ将軍である。

 

「我々の知らないうちに、魔族が侵攻している可能性も否定できません。陛下、やはり我が国は一刻を争う状況にあります。カデンツァ出兵のご決断を――!」

 

 息巻く将軍に辟易(へきえき)し、テノールは天を仰いだ。

 

「またカデンツァか……」

 

 チェルティーノ大陸の形は、横から見た犬に例えられることが多い。北東にある細長い半島が、ぴんと立った尾のように見えるのである。その「頭」、つまり大陸の北西にあるのがカデンツァ王国である。

 「後ろ足」のグラツィオーソとカデンツァには国交がない。両国の間には通称〈魔の森〉が鬱蒼と生い茂り、往来もままならないことが理由の一つである。

 ところが旅人や他国を通じて、昨年頃からカデンツァのある噂を耳にするようになった。

 

 ――カデンツァ王国には魔族がいる。

 

 マルツ将軍はこれを真に受けているらしい。

 テノールはシュトー宰相の助け船を期待したが、

 

「カデンツァに関しては、先日のゲネラル鉱山買収の件を踏まえると、これ以上は無視できないかと」

 

 その彼まで将軍の進言に賛同を示してきた。

 もういい、とテノールは片手で制する。

 

(たみ)はどう思っているのやら……)

 

 グラツィオーソ国内では急進派と穏健派が対立関係にあるが、カルカンドの襲撃を受けて、急進派の勢力が一気に拡大した。

 カデンツァへ進軍するか否か。長らく交わされてきた議論も、数日のうちには投票まで行われるであろう。

 グラツィオーソには議会があり、国民の代表として選ばれた者が参加する。その議会で可決されたことに対し、最終的な判断を下すのが国王である。国王は議会での決定を退ける権限を持つが、議会の意見を無視すれば国民の不信を買いかねない。

 

「おまえたちの言うように、カデンツァが魔族の後ろ楯を得ているとして、我々に勝機はあるのかね? 魔族のいる国と争うことになるのであろう? ここは〈ナ・リーゼ〉の結論を待つほうが得策ではないかね」

 

 テノールは将軍が引き下がると踏んで世界管理機関の名を出した。

 〈ナ・リーゼ〉は世界の均衡を目的とした機関である。いずれの国家にも属しておらず、基本的には中立の立場だが、魔族が関係するとなると話は別である。

 とうに滅びた人類共通の敵、魔族の復活。その噂が事実であれば、〈ナ・リーゼ〉も実力行使に出るに違いない。

 

「そんな悠長な! カデンツァの件は昨日今日に始まったことではありません。いったい、いつになったら〈ナ・リーゼ〉は動くのですか!?」

「落ち着きなさい、マルツ将軍。昨日の襲撃事件に関しては、まだ調査を始めたばかりです」

 

 なおも食い下がるマルツ将軍だったが、シュトー宰相にたしなめられてようやく口を(つぐ)んだ。

 

「では、本日の報告は終いだな」

 

 テノールは二人の返事も待たずに立ち上がり、会議室を出た。

 

(シュトーも、所詮(しょせん)は急進派であったか)

 

 宰相(シュトー)の報告内容を頭で反芻(はんすう)し、この国の王は沈鬱な表情になった。

 

 かつて闘技場は、森で捕獲してきた魔獣と剣奴を戦わせる場であった。

 市民の日頃の鬱憤を晴らすための見世物。その内容は時代とともに変化し、現在(いま)では五年に一度、武闘大会が開かれるようになった。

 闘技場地下の檻も長らく使われていないはずなのだが、事件直後に調べたところ、鍵の開けられた痕跡が見つかったのだ。そのことをテノールに報告したバッソは、加えてカルカンドを倒したときの所感を述べた。カルカンドにしては動きが鈍く、麻酔でも打たれているかのようだった、と。

 一方で、シュトー宰相が檻の件に触れることはなかった。使われた形跡がないか、確認するように指示していたにもかかわらず。

 

(急進派の自作自演、か……)

 

 軍部を中心とした急進派による偽旗作戦。それを武闘大会中に実行することで、国内外の世論を味方につけようと目論んだのであろう。カデンツァに対する報復措置を、同国に攻め入る大義名分とするために。

 逃げ帰るように自室へ戻ったテノールは、従事長である年老いた男を呼び寄せた。

 

「闘技場での事件だが――カルカンドを倒したのは、バッソの他にも二人いたそうだ。しかも彼らの歳は、息子とそう変わらないらしい」

「さようでございますか。まだお若いのに、なんとも勇敢でございますね」

「息子にもそうなってもらいたいものだ。じき十六になるのだから」

 

 国王の言わんとすることを推察したのか、従事長の眉がぴくりと動く。

 

「陛下、もしや――」

 

 うなずいたテノールは呟くように、しかし威厳ある声で告げる。

 

「即刻、『通過儀礼』を()り行う」

「お言葉ですが……準備を進めていたとはいえ、あまりに急ではございませんか?」

「騒ぎが収まるまで、息子には王都(ここ)を離れてもらおうと思ってな。そのほうが安全やも知れぬぞ?」

 

 テノールは口髭の下で乾いた笑いを浮かべた。