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面倒なことになった、とアレグロは唇を噛んだ。
敵の正確な数も掴めないうえに、手元にあるのは消耗品の棒手裏剣だけ。力に物言わせた戦闘を繰り広げているバッソも、いつ体力が尽きるかわからない。
アレグロの位置から確認できるカルカンドは四頭。そのうち一頭はバッソが相手しているが、カルカンドも大柄な男より細身の女のほうが襲いやすいと判断したのだろう。残りの三頭はアレグロを取り囲むように近づいてくる。
愛用の刀もなしに魔獣と渡り合えるはずがなかった。それでも場内に留まったのは、バッソを差し置いて逃げることを躊躇したから――というわけでもない。足手まといになるくらいなら、早急にこの場を去るべきだ。
(ねえ、早く)
アレグロの脳裏に浮かんだのは、大会の日程や対戦相手を記した表。探している人の名はそこになかったが、試合に出ていないだけで観戦席にはいるかもしれない。
バッソには諦めたような言葉を吐いてしまったが、未だアレグロは望みを捨てられずにいた。
かつての仲間との再会という切望を。
彼らは生きているという希望を。
だから。
(助けにきて)
現実から目を背け、夢想に耽る。その隙に回り込まれたのか。
(挟まれた――!?)
背後に新たな気配を感じ、アレグロは身を硬くした。
「横に跳べ!!」
後方から鋭い声が飛び、次いで聞こえてきたのは微かな風の音。
「――っ!」
アレグロは左へ跳躍、その勢いのまま地を転がった。
数拍置いて、つい先までいたところを風が唸りながら通り抜けていく。
突然の強風は砂を巻き上げながらカルカンドへと迫る。アレグロが瞬き一つする間に、カルカンドは砂埃に飲まれていた。
「アレグロ! 無事か!?」
いつの間にフィールドに降り立ったのか。
振り返ると、そこには斧槍を手にしたシェントの姿があった。
「――私を巻き込んでまで、あれを狩りたかったのか?」
アレグロの口調に怒気こそ含まれていないが、目は恨めしそうにシェントを見る。
「いやいや、助けにきたんだよ!? それに、君なら避けられると思ったから」
「……助け、に……?」
「え、そうだけど!? ――ほら、もう終わったんじゃないか?」
風は早くも止んでいた。砂埃が薄くなり、徐々に視界が晴れていく。
再び身構えるアレグロだが、カルカンドはすでに絶命していた。地に転がる三頭の頭や腹には、透明な破片が突き刺さっている。
アレグロは緊張を解すように息を吐き出すと、そのガラス片を指した。
「あれは?」
「〈鎌鼬〉を発動させる時間もなかったし――ああ、〈鎌鼬〉ってのはこいつの上級科術なんだけどな?」
説明しながら、シェントは斧槍でこつこつと地面を小突く。斧槍の先端では緑色の結晶、〈風〉の科石がほのかに光っていた。
科石が埋め込まれた武器は「科器」と称され、いつしか「武器とは科器を除いたもの」という共通認識が生まれた。
今は大会本部に預けているが、アレグロの刀は科器ではなく武器だ。そのためアレグロ自身は科術に明るくないのだが、存在は知っていた。
「だから下級科術を発動させて、瓶の破片を投げ込んでみたんだ」
「それが風で飛ばされて突き刺さった、というわけか」
科術は威力によって三つの級に分類されている。級が高いほど威力が強く、一方で設定されている「呪文」が長い。科術の発動には呪文の詠唱が不可欠だが、呪文が長いと詠唱にも時間がかかり、かえって不利になる場合も多いのだった。
「それにしても……おまえ、どうやって降りてきた?」
アレグロは一番の疑問をシェントに投げかけた。
観戦席から飛び降りてきたことはアレグロにも想像がついた。しかしフィールドまでの高さは、建物の二階に相当する。
「ん? それも斧槍のおかげさ。〈舞風〉を観戦席で発動させて、下に――フィールドに向けて放ったんだ。そうすれば飛び降りても衝撃が少ないし」
「まさか……〈風〉を緩衝材にしたのか?」
要するに、シェントは下方から舞い上がった〈風〉の中に飛び込んだのだ。
アレグロは絶句した。受け身を取り損ねれば負傷は免れない。
「どうして、そこまでして私を助けた?」
「それは――」
「おおい、二人とも!! 怪我はないか!?」
割り込んできたのはバッソの声だった。
彼のほうもカルカンドを片づけ終わったらしく、息を荒くしながら走り寄ってきた。
「おい、少年! 観戦席から飛び降りるなんて、まったく無茶な――」
険しかったバッソの表情が、ふいに柔らかくなる。
「でも、嬢ちゃんに仲間がいて安心した。試合の時も、人とはぐれたみたいに見えてたぞ」
バッソの安堵の言葉に、しかしアレグロの心臓が大きく脈打つ。
――仲間?
バッソは勘違いをしている。自分の仲間は〈コード〉の皆だというのに。
アレグロは自分の身体を掻き抱くように腕組みし、二の腕に爪を立てた。
「アレグロ……? 大丈夫か?」
彼女の様子が急変したことに気づき、シェントは心配そうに眉根を寄せる。
緊張の糸が切れた今になって、魔獣に襲われた恐怖が蘇ってきたのかもしれない。アレグロを落ち着かせようと、シェントは彼女の肩に手を伸ばす。
その手を振り払うように、
「仲間じゃない……っ!」
アレグロは震える声で叫ぶと、二人に背を向け闘技場の出口へ駆けていった。
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