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 武闘大会の会場となるのは、定期市や公開処刑にも使われる、すり鉢状の古い闘技場である。

 高さは四階建てに相当し、屋根はなく吹き抜けになっている。フィールドと呼ばれる一階部分には砂が敷き詰められ、二階から四階にかけては観戦席が設けられていた。フィールドと観戦席の出入口は別れているため、試合に乱入する――観戦席から直接フィールドに降りる――ことは不可能だ。

 いくら優勝候補の試合とはいえ、まだ初戦。それでも席はほとんど埋まっており、シェントは西側の後方で立ち見することにした。

 

 まずは東の入場口から今回の優勝候補、バッソが姿を現した。禿頭(とくとう)と右頬に走る裂傷の痕は、歴戦の猛者(もさ)(あかし)なのだろう。防御性より機動性を重視したのか、軍装備の板金鎧ではなく皮鎧を着用していた。

 闘技場は一瞬にして歓声に包まれた。バッソもそれに答えるように手を振りながら、フィールドの中央に歩を進めていく。

 だが、その歓声も次第にどよめきに変わっていった。

 バッソの対戦相手、つまり西から入場してきた人物が、古びたロングコートをまとった華奢(きゃしゃ)な少女だったからである。

 彼女は口を真一文字に結び、どこでもない一点をただ見つめている。一見すると緊張しているようだが、右手に握った剣を構える様子もない。勝負に対する気迫がまるで感じられないのだ。

 バッソは対戦相手の名を思い出す。たしか、アレグロといったか。

 

(こりゃあ、大物かもしれんな)

 

 試合開始を告げるラッパの音が高らかに鳴った。

 すかさず臨戦態勢をとるバッソ。

 一方のアレグロは、演奏などまるで聞こえていないかのように突っ立っている。

 観客の目には少女が怖気(おじけ)づいたように映ったのだろう。フィールドの中央までは届かないが、野次と共に次々と物が投げ込まれてくる。丸めた紙袋や空き缶といったゴミから、アクセサリーといった貴金属まで。

 瓶の割れる音で我に返ったバッソは、やれやれと(かぶり)を振った。

 

俺は(・・)いったい何を恐れてんだ)

 

 バッソは少女へ不器用に笑いかけると、力強く地を蹴った。相手の出方を見るため、わざと剣を高く構える。

 そのがら空きの胴を狙うでもなく、棒立ちだったアレグロは剣が振り下ろされる寸前に動いた。後ろへ跳躍して斬撃を回避すると、反攻に転じることなく後ずさった。

 

「どうした、そんなんじゃ勝てねえだろ?」

 

 矢継ぎ早に攻撃を仕掛(しか)けるバッソ。剣を振るう度に、割れんばかりの歓声が湧き起こる。

 アレグロはといえば、バッソの猛撃からただ逃げるだけ。しかし顔色一つ変えないところを見るに、()けるだけで精一杯というわけでもなさそうだ。彼女は円舞曲(ワルツ)でも踊るかのごとく、軽やかな足捌き(ステップ)でバッソの剣をかわしていた。

 誰の目から見てもバッソがアレグロを圧倒しているというのに、当のバッソは自らの優位を確信できずにいた。こちらが追い込んでいるはずなのだが、反対に誘い込まれているような――

 その懸念も杞憂(きゆう)に過ぎなかったらしく、バッソは早くもアレグロをフィールドの端まで追い詰めた。

 

「嬢ちゃんよ、試合終わっちまうぞ? 何か目的があって参加したんじゃないのか? 実戦を重ねて強くなりたいとか――」

「目的……」

 

 アレグロは目を伏せ、バッソに聞こえるか聞こえないかといった声量で答える。

 

「わかっていたはずなのに」

 

 あるいは独り言なのかもしれない。無表情の仮面は()がれ落ち、今にも泣き出しそうに眉根を寄せていた。

 

「――もう、大会に出ても意味がないって」

 

 諦めの言葉にも聞こえるが――さっきまでの余裕が感じられない重く沈んだ声に、バッソは息を飲んだ。

 途端、アレグロの剣を握る手に力が入った。ここまで追い込まれても負けるつもりはないらしい。悲痛な面持ちもどこへやら、彼女の真剣な眼差しがバッソを射抜いた。

 

(やる気になったか!?)

 

 焦燥(しょうそう)に駆られたバッソが、彼女の退路を断つべく一歩踏み出す。

 同時にアレグロも片足を引くが、そのまま()()ったかと思うと地に片手をついた。

 観客が投げ込んだゴミに足を取られたと理解するより早く、バッソが大きく踏み込む。

 

(もらった!)

 

 バッソは躊躇(ちゅうちょ)なく剣を振りかぶると――

 

「つっ!?」

 

 顔面に飛んできた何か(・・)を、首を動かし(すん)でのところで避けた。

 その物体はバッソの背後に落ち、カランと乾いた音を立てる。

 

「缶!?」

 

 たとえ直撃しても所詮(しょせん)は空き缶。その威力はたかが知れている。

 それでも、一瞬の隙を作り出すには十分であった。

 

「……卑怯、ではないよなあ」

 

 彼女の狙いは初めからこれ(・・)だったのかもしれない。

 フィールドの端まで誘導し、落ちている缶を投げつける。そして間髪入れず剣を突きつけてきた少女に、バッソは苦々しく微笑(ほほえ)んだ。

 バッソが(おのれ)の敗北を悟った、そのとき。

 

 ぐぎゃあぁぁおぅっ!

 

 闘技場を揺るがすような、獰猛(どうもう)な獣の声が(とどろ)く。

 突如としてフィールドへ雪崩(なだ)れ込んできたのは、見慣れない灰色の塊だった。