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 重い空気のまま、アレグロとシェントは一言も発することなく、二人のところへ戻った。

 

「急に走っていって、どうしたの?」

「もしかして、魔獣がいたんですか?」

 

 単独行動を(とが)めるような口調ではなかったが、アレグロは「ごめんなさい」と呟いたきり目を伏せた。

 代わりにシェントが重々しく口を開く。

 

「小さな女の子がいたんだ、こんな森に一人で。その子はコデッタの死骸を持ってたんだけど――どうやら、魔族だったみたいだ。アレグロが斬りかかったときには、姿を消してしまって」

「魔族――!?」

 

 愕然(がくぜん)と目を見開く二人。

 さらにシェントは、幼女がフィーネという人物の命令で動いていたことも伝えた。

 

「フィーネ・カデンツァ……ですか」

 

 思った通り、アルトはその名に反応した。

 思案するように目を閉じ、形の整った眉を寄せる。

 次に(まぶた)を開けたときには、彼の黒瞳に鋭い光が宿っていた。

 

「カデンツァ王国までの、護衛を頼めますか」

 

 ――やっぱり、そうきたか。

 嘆息するシェントを説得するように、アルトは言葉を連ねる。

 

「カデンツァの女王が魔族だという証拠を掴みたいんです。僕にだって、この国のためにできることがあるはずなんです!」

「いいのか、王子様が勝手な行動して」

 

 がしがしと頭を()きながら、シェントは一応聞いてみた。

 

「この通過儀礼が逃亡のためなのか、本当のところはわかりません。このまま戻らなくても、父上は何も言わない気がするんです。……僕は父上に恨まれているから」

「恨まれている? 家族に?」

 

 と、アレグロが眉をひそめる。

 

「王妃は僕を産んだせいで亡くなったんです。産後の肥立(ひだ)ちが悪くて……。

 大恋愛の末の結婚と聞いていますが、それからたったの一年で他界してしまったんです。父はいまだに後妻を迎えていません」

 

 力なく語り、黙り込むアルト。

 その沈黙に割り込むように、カノンが三人を真っ直ぐに見据えて言う。

 

「私も、(みんな)についていきたい」

 

 そして彼女は、自分の気持ちを整理するように言葉を紡ぎ始めた。

 

「そうよ……レジェールが殺されたのも、ラティーの(みんな)の生活が苦しくなってるのも。全部、魔族のせいなのに!

 魔族を倒すのは無理だってわかってる。でも、誰ともわからない人に――ううん、魔族に、ラティーをめちゃくちゃにされたのが悔しいの……っ」

 

(魔族の(ツラ)だけでも拝んでおきたい、ってことか)

 

 シェントは肩越しにアレグロを振り返った。

 カノンに同情しているのだろうか。アレグロは沈鬱な表情のまま、小さく唇を噛みしめていた。

 

「――つまりアルトは、俺とアレグロをまだ雇い続けるってことだな?」

「はい。カデンツァへ行って、またグラツィオーソまで帰ってきた暁には、追加で倍以上の後払い金を支払います」

「俺はそれでもいいけど、まあ……アレグロ次第、だな」

「そ、そうですよね。すみません、勝手に話を進めて」

 

 アレグロは微かに身をすくめ、ふるふると首を振った。

 

「そもそも、アレグロさんはどうして旅をしているんですか? カデンツァまでついてきてほしいなんて、一方的なお願いはできませんし……」

 

 答えたところで、どうせ記憶喪失であると嘘をつくだけ。

 視線を泳がせていたアレグロだが、シェントと目が合ってしまった。彼は眉尻を下げ、困ったような微笑を浮かべていた。

 ――きっと、優しい彼のことだから、こう言うに違いない。

 

「無理に答えなくても――」

「私には、半年より前の記憶がない」

 

 シェントにはすでに打ち明けていたことだが、あとの二人は驚きに身を硬くしたようだった。

 アレグロは、シェントに語った作り話――記憶喪失であること――を再び話し始めた。

 理由は不明だが、半年より前の記憶を失っていること。

 自分がとあるアンクレットを身に付けていたこと。その銀板(プレート)刻印(マーク)が〈コード〉のものだと、最近になってわかったこと。となれば、自らも〈コード〉の一員だったのではないかと思い至ったこと。

 〈コード〉を探すため、王都(ルーエ)での闘技大会に出場したこと。そこで彼らに出会えなかったこと。

 次第に(うつむ)きながらも、ぽつりぽつりと言葉を紡いだ。

 

「〈コード〉が魔族のせいで壊滅した、という噂も聞いていた。だから、アルトの護衛を終えたあとは、魔族を探そうかとも考えていた。……何か手がかりがあるかもしれないから」

 

 当然、〈コード〉壊滅の原因を探るためではない。〈コード〉を破滅させたのはアレグロ自身だ。かつての仲間は自分を(かば)ったせいで殺されたのだから。

 

「だったら、なおのことアレグロさんも一緒に行きませんか?」

「そうよ、複数で行動したほうが、何かと安心でしょ?」

「だが――」

 

 顔を上げたアレグロは、真っ向から見つめてくる三人を前に言葉を詰まらせた。

 

(私が抜けたら三人で旅をするんだ。私ではなく、カノンが一緒に)

 

 理不尽には声を上げて。辛いときにも他人を気遣って。

 カノンは、〈降臨の塔〉で科術を使って(そし)られたシェントのことを、真っ先に庇った。

 

 ――シェントに助けられてばかりの自分は、まだ何も返せていないのに。

 

『私でなくてもいいと思う』

 

 彼を突き放そうとして言い放った言葉が、今になって自分の胸に突き刺さる。

 

「ここで俺たちと別れたら、また一人になるんじゃないのか?」

 

 また、独りになる。

 

 背中を預けられる仲間がいない心許なさ。

 侵蝕する闇に怯えながら一人眠る心細さ。

 いっそ永遠の眠りについて、何も感じなくなりたい。

 自分のせいで死んだ仲間が、それを許してくれない。

 

 独りでいたら、また、彼らの跡を追いかねないのに。

 

「魔族を探すため……」

 

 旅の目的を再度確認するように、アレグロはぽつりと呟いた。

 〈魔界大戦〉という曖昧な史実のせいで、人類は魔族の影に怯えている。

 しかし幼少期の記憶も魔族の知識もないアレグロには、人々と争う気などさらさらない。それでも、魔族というだけで恐れられ、敵視されるのだろう。

 

 だったら、魔族の仲間を探せばいい。

 

 魔族とは、いったい何なのか。かつての仲間の死を認め、独りになった今、いよいよ(おのれ)と向き合うときが来たのかもしれない。

 

「――わか、った」

 

 アレグロは小さくうなずいた。

 カデンツァへ行くまでの間、自分が魔族であることを隠し通せばいいのだ。そのために、すでに記憶喪失を偽ったではないか。

 たとえ気づかれたとしても、逃げ切れる自信はある。数には敵わないかもしれないが、一対一での戦闘能力なら自分のほうが上だと、アレグロは確信していた。

 

「カデンツァまで、一緒に行こう」

 

 新たな旅の仲間に向かって、アレグロはぎこちなく微笑(ほほえ)んだ。