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 門の外から柵を下ろすことはできないが、町民たちもラティーの外までは追ってこなかった。

 それでも四人はしばらく駆け続けた。彼らの捨て台詞のような罵声が聞こえなくなるまで。

 やがて、樹々や切り株が散見するようになった。

 このまま進めば辺りも鬱蒼としてくるだろう。あまり森の奥まで行くと、カノンが一人で帰れなくなる。

 シェントは適当な切り株に腰を下ろし、三人にも座るように勧めた。

 アルトはずっと握っていた(ウィッグ)に視線を落とすと、荷物の中に詰め込んだ。

 

「ファルルって男の子だったのね。どうして変装なんかしてたの?」

「……ファルルは偽名です。僕は、アルト・グラツィオーソといいます」

「グラツィオーソ、って――」

「この国の王子様なんだとさ」

 

 シェントはアルトの肩に馴れ馴れしく手を乗せる。

 

「あ……、わ、私」

 

 カノンは口元に両手を当て、さっと立ち上がると頭を下げた。

 

「も、申し訳ありません! 私、王子様にお掃除なんてさせてしまって」

「気になさらないでください! 本来であれば――従来通りの通過儀礼であれば、泊めていただいたお礼をできたのですが」

 

 世話になったのに(あざむ)いてしまって申し訳ないとでも言うように、アルトは身を小さくした。

 

「それに、僕はまだ王族ではないんですよ。正確には」

 

 どういうことか、と小首を傾げるカノンに、アルトは通過儀礼についても簡単に説明した。

 

「俺たちはこの国の人間じゃないけど、カノンも王子の名前を知らないのか?」

「だって――」

「成人するまでは公表しないんですよ」

 

 シェントの疑問に答えたのはアルトだった。

 

「王に子どもが生まれたとだけ、国民には伝えられるんです。医学が発展する前は、王族であっても十六(おとな)になる前に亡くなることもありましたから」

「それならば、変装などしないほうがいいのではないか?」

 

 アレグロの提案に、シェントは「たしかに」と顎に手を当てた。

 

「さっきみたいにバレたとき、ごまかすのが面倒だしな。――ちなみに、城では何と呼ばれているんだ?」

「『王子』ですね、正式には王族ではないのに」

 

 アルトにしては珍しく、口元に薄い笑みを浮かべて自嘲した。

 

「じゃあ、アルトはアルトのままでいいか? これからの呼び名」

「……はい」

 

 名前で呼ばれることが少ないからなのだろうか。アルトは目を細めて照れくさそうに笑った。

 だが、そのままくしゃりと顔を(ゆが)めると、消え入りそうな声で言う。

 

「ラティーでも変装なんてしなければよかった。僕が失敗したせいで、皆さんまで疑われて」

「そんなことないさ」

「だが、魔族ではないかと疑われたのでは……」

 

 反射的に否定したシェントに、アレグロが(いぶか)しげな目を向ける。

 

「あの状況で皆、疑心暗鬼になってたってのもあるだろうけど。もともと守護団に不満があったから、俺たちにも当たりが強かったんだろ。…………あ」

 

 ――失言だった。

 シェントはハッとしてカノンをうかがい見た。

 

「私……(みんな)の生活が苦しいなんて知らなかった。誰かを助けたいと思って、守護者になったはずなのにね」

 

 カノンは(ひざ)の上で両手を握りしめる。

 

「お姉ちゃんの力になりたい、なんて言っておきながら……聖女に選ばれて、役割を授かったお姉ちゃんのことが、羨ましかっただけなのよ。

 私も、(みんな)に必要とされたくて……、そんな不純な動機で守護者になったの……っ」

 

 静かに吐露するその声は、最後には嗚咽交じりになっていた。

 

「後ろ暗く思う必要なんてありません! カノンさんは僕たちのことを助けてくれた。さっきだって、ラティーを守るために戦ったじゃないですか!」

 

「でも……っ」とカノンが声を詰まらせる。

 

「レジェールが魔物に殺された、って聞いたときも……、私は守護者だから、泣いちゃいけない、逃げちゃいけない、って思った。

 それなのに、ラティーのみんな守護団(私たち)のこと、恨んでたの……?」

「カノン……」

 

 自分が彼女を泣かせたようなものだ。シェントは内心狼狽(うろた)えながらも、落ち着き払った顔をしてハンカチを取り出した。

 それを手渡そうと腰を上げた、そのとき。 

 

「――っ!?」

 

 ふいにアレグロが立ち上がり、木々の生い茂るほうへ顔を向ける。

 地面に置いていた刀を掴むと、彼女は何も告げずに森の奥へ走り出した。

 

「お、おい! アレグロ!?」

 

 只事ではないと感じたシェントは斧槍(ハルバード)を手にし、二人に「ここにいろ!」と叫んで彼女の後を追う。

 

「どうしたんだ、魔獣か!?」

 

 背後から投げかけられるシェントの声に、しかしアレグロは答えない。答えようがなかった。

 魔獣か、人か、わからない。ただ、何かがいる気配を察し――まるで誘い込まれるように、アレグロは駆けていく。

 そして、すぐに立ち止まった。

 

「な、(なん)なんだよ……、え……?」

 

 シェントが困惑の声を上げる。

 それも無理からぬことだった。

 年の頃なら十歳前後だろうか。幼女が薄暗い森の中に一人で佇んでいたのだ。

 白く薄ぼんやりとした光が、女の子の形となって浮かび上がっているかのように。

 袖のない純白のワンピースから覗く手足は、生気を感じられないほど白い。地に付きそうなほど長い髪は、螺鈿(らでん)のように白に様々な色が混ざって見える。

 アレグロはとっさに腰を低くし、刀の柄に手をかけた。小さな幼女を相手に、何を身構える必要があるのか。頭の片隅ではそう思ったが、身体は理性よりも本能に従った。

 

「おまえは――」

 

 誰何(すいか)を問おうとして、アレグロは一瞬口ごもる。

 ――これ(・・)は果たして人なのか?

 

「おまえ、いったい()だ?」

「…………」

 

 返事はないが、幼女は滑るように数歩前に出た。その動作はひどく緩慢(かんまん)としていて、髪もほとんど揺れていない。

 

「それ、は」

 

 アレグロとシェントは揃って息を飲んだ。

 

 幼女が手で鷲掴みにしているのは、コデッタの死骸だった。

 そのコデッタがすでに息絶えているとわかったのは、内臓と血がだらりと垂れていたからだ。

 

「抜け殻」

 

 一拍遅れて、幼女は鈴を転がすような声で言った。

 

「何を、言っている……?」

「……実験の、廃棄物」

 

 どうしてわからないのか、とでも言うように、幼女はかくりと首を傾げた。

 抜け殻と称されたコデッタの死骸。そして、彼女の言う実験。

 アレグロは一つの解を導き出した。

 

「おまえが……コデッタを使って、ラティーを襲ったのか?」

 

 幼女は無表情のままこくりとうなずいた。

 

「どうして……どうして、ラティーを」

「フィーネ、命令」

 

 その名を聞いて戦慄(せんりつ)したのはシェントだった。

 

「フィーネ、って……フィーネ・カデンツァか!?」

「――!?」

 

 アレグロはシェントを振り返った。この幼女に命令を下したフィーネという人物は、カデンツァ王国に関係しているというのか。

 

「そう」

 

 すんなりと首肯した幼女に、シェントは続けて尋ねる。

 

「君と、カデンツァの女王は……魔族、なのか?」

「――まぞく」

 

 幼女は色のない唇を微かに震わせ、二人に人差し指を向けた。

 

 

 抜刀したアレグロが幼女に斬りかかった。

 

 

「アレグロ!」

 

 シェントの声がやけに遠くに聞こえた。

 視界が急速に白く(せば)まっていき、真っ白な幼女の姿も輪郭をなくして溶けていく。

 アレグロが我に返ったのは、幼女に斬りかかった(・・・・・・)後だった。

 

「――っ!?」

 

 (おのれ)の行動が信じられずアレグロは瞠目(どうもく)した。全身からは汗が噴き出してくる。

 意を決して振り返るも、そこに幼女の姿はない。

 

「そんな……」

 

 木の裏に逃げ隠れたのかもしれない。だが、ここにはもういない、とアレグロの直感が告げていた。

 魔物の最期(さいご)のように、白い幼女は忽然(こつぜん)と姿を消したのだった。