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 一人で去ってしまったカノンの代わりに、リエと名乗る三つ編みの女に連れられて、シェントは宿舎まで戻ってきた。

 連行といっても手を縛られたりはしなかった。むしろ殺気立った町民からシェントを守るため、宿舎までついてきてくれたようだった。

 

支度(したく)が済んだら声を掛けて、裏門まで案内するから。……こんなことになって、本当にごめんなさいね」

「いえ。よそ者の俺が〈塔〉の大切さを理解してなかったのも、悪かったと思うので」

 

 半分は皮肉、半分は本心だった。

 魔物の討伐に協力すれば、カノンをはじめ世話になった守護団に恩を返せると、打算的に考えてしまったのではないか。

 ラティーを守るためといって、彼らが大切にしてきた〈降臨の塔〉を利用したことは、本末転倒だったのではないか。

 苦い顔をするシェントに、リエは「そんなことないわ」と困ったような微笑を浮かべた。

 彼女に軽く頭を下げ、部屋に向かう。

 扉を開けると、ファルルが小走りで近寄ってきた。

 

「シェントさん、アレグロさんが――」

「アレグロがどうかした!?」

 

 気を失っていた彼女に、また何かあったというのか。シェントはファルルを押し退()けるようにして部屋に入る。

 ベッドで寝ていたはずのアレグロは、刀を抱えて壁際の床に座っていた。

 

「私もコデッタを倒しに行こうとしたのだが、ファルルが手を(つか)んで離さなくて」

「だって、まだ顔色が悪かったんですよ! 安静にしてくださいと言っても、外に出ていこうとするから」

 

 言うことを聞かない彼女に手を焼いたと訴えてくるファルルに、シェントは真顔で問いただす。

 

「え、アレグロの手を握ったのか?」

「え?」

「……なんでもない」

 

 (かぶり)を振ったシェントは一転、神妙な面持ちで口を開く。

 

「俺のほうも話があるんだけど――急遽(きゅうきょ)、ラティーを出ていくことになった」

 

 そして、魔物(コデッタ)討伐の顛末(てんまつ)を手短に伝えた。

 共に行動していることを知られたら、彼女たちも何をされるかわからない。早いところラティーを出たほうが安全に思えた。

 

「ごめんな、巻き込んじゃって……」

「私のほうこそ、また何もできなかったから……」

「僕も、魔物を放置してこの町を出るんですか、なんて言ったから……」

 

 室内を支配する静寂。

 それを破るようにノックの音が響いたかと思うと、返事も待たずに扉が勢いよく開かれた。

 

「森のほうは城壁があるから、外に出るには門の鍵が必要よ」

 

 手にした鍵をくるくると回しながら。白いブラウスと青いスカートに着替えたカノンが、ずかずかと上がり込んでくる。守護団の制服姿ではないものの、彼女は弓矢を装備していた。

 

「なんで弓矢、っていうか荷物まで!?」

 

 シェントはカノンの手に握られた小さな荷物鞄を指した。

 

「ラティーを出て『はい、サヨナラ』ってわけにもいかないでしょう? 森の中も案内するわ、少しだけね」

「いやいやいや、俺たちと別れたあと、一人で帰ることになるんだぞ!?」

「暗くなる前に引き返すわよ。それに……ちょっと町の外に出て、一人になりたいの」

「……っ、わかった……。でも、門を出てすぐのところで、カノンが町に戻るまで一緒にいる。二人も、それでいいよな?」

 

 アレグロとファルルは揃ってうなずき、荷物をまとめ始めた。

 同じく旅支度に取りかかるシェントの隣で、カノンがおずおずと尋ねる。

 

「――シェントは、ラティーを救ったこと後悔してる? 責めてきた人たちのこと、恩知らずだって怒ってないの?」

 

 彼女の目は心なしか赤い。気丈に振舞おうとしているカノンの手前、シェントはそのことに気づかないふりをした。

 

「恩知らずとは思ってないよ。不安になる気持ちもわかるし。……俺の故郷も、魔物に襲われたからさ」

 

 大多数の人間は、魔獣や魔物に抗う(すべ)を持たない。

 さらに、相手は言葉の通じない生物だ。魔物に至っては生物かどうかも怪しい。

 糾弾したくてもできないのならば、怒りの矛先を変えることで、(おのれ)の気持ちをごまかすしかないのだ。

 ――だから、自分が責められるのは仕方のないことだ。シェントは早々に割り切っていた。

 それでも。

 あのコデッタの大群は科術でなければ倒せないと、(おご)っていただけではないのか。

 自分は、判断を誤ったのではないか。

 

「それに、カノンが俺の代わりに怒ってくれたしな」

 

 シェントは話を切り上げようと、やんわりと微笑(ほほえ)んだ。

 彼らのことを恨んではいない。

 恨んでいるとカノンに思われてはいけない。

 自分が間違えたせいで、カノンまで巻き込んでしまったのだから。

 

「……っ、だって、シェントが怒らないからよ! 自分のことなのに」

 

 カノンはベッドに腰かけ、暇を持て余すように足をぱたぱたとさせていた。

 

 

 

 

 

「――お待たせしました」

 

 ほどなくして、最後まで荷物を詰めていたファルルが立ち上がった。

 

「忘れ物はないわね?」

 

 ざっと室内を見回し、ドアノブに手を掛けるカノン。

 

 

 扉の向こう側から、ガラスの割れる音が聞こえてきた。

 

 

 カノンは廊下に飛び出した。

 部屋を出て左側にある玄関までは、一本の廊下で繋がっている。その廊下に並ぶ窓のうち、一枚が割れているのが見えた。

 

「魔物が飛び込んできたの……?」

 

 恐る恐る廊下を進んでいくと、床に散乱する窓ガラスに交じって、拳大の石が落ちていた。

 

「乱暴なことはナシだと言っただろ!」

「なんでおまえが仕切るんだよ!」

 

 割れた窓の外で怒号が飛び交う。

 宿舎を出ると、待ち構えていたかのように町民たちがずらりと立っていた。少なくとも、〈降臨の塔〉に集まった人数の倍――二十人はいるだろう。

 助けを求めに来たようにはとても見えない。そもそも、彼らが宿舎に石を投げ入れてきたのだ。

 

「どうしたの、(みんな)……」

 

 異様な光景に動揺したのか、カノンは(かす)れた声で問いかける。

 

「今回の魔物の騒動について、守護団に説明を求めたい」

「あ……、ま、魔物は、ほとんど倒したと思うわ。守護団の皆は今、町を――」

「そういうことではなくてね」

 

 まとめ役らしき男はため息をついた。

 その後ろで、町民たちが次々と声を上げる。

 

「〈塔〉で魔物を倒したせいで、壁画とかに傷がついたんだって?」

「徴収する『寄付』も上がるの?」

「守護団なんて無能の集まり、解体しろ!」

「おいやめろっ、カノン様はまだ十六歳(おとな)になったばかりだぞ!」

 

 まとめ役の男が一喝し、彼らを黙らせる。

 シェントも()き身の斧槍(ハルバード)を肩に担いだまま、カノンの前に立った。

 

「守護団は町を警らしてますよ、皆さんの安全を守るために」

 

 ふてぶてしく言ってやると、まとめ役とは別の男が、肩を(いか)らせながら近寄ってきた。