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 人気(ひとけ)のなくなった裏通りの側溝を、コデッタが群れを成しながら進んでいく。蠢動(しゅんどう)しながら移動する灰色のそれは、遠目に見れば濁流のようだ。

 その流れを断ち切るかのように、側溝に剣が突き立てられた。

 

 きゅ、き……っ!

 

 危機を察したのか、コデッタが身を固くする。

 バッソは突き立てた剣を(さや)に戻すと、コデッタに背を向けて走り出した。

 

 きっ? きぃぃぃ――!!

 

 怒りに震えるかのごとく波打ち、側溝を飛び出すコデッタ。

 追いかけてくるコデッタと付かず離れずの距離を保ったまま、バッソは〈降臨の塔〉を目指す。上着の内ポケットから取り出した懐中時計を(にら)み、時間を調整するため適当な道を駆け抜ける。

 

 〈降臨の塔〉の方角から、十一時を告げる鐘の音が聞こえてきた。

 

 バッソは走る速度を上げた。

 やがて、丘のような外観の神殿が視界に飛び込んできた。

 背後に迫るのはコデッタのものではない足音。ラティーを走り回ってきた守護者たちが、コデッタを引き連れて集まってきたのだ。

 彼らの目指す先――神殿の丘の前で、カノンが仲間に借りた弓を構えている。

 守護者は左右二手に分かれて彼女の横を通り過ぎ、丘の(ふもと)に身を伏せた。

 ほどなくしてやってきたコデッタの行く手を阻むように、地面に一本の矢が突き刺さった。

 矢を放ったカノンはすぐさま〈降臨の塔〉へ向かった。

 

 ぎゅ、ききっ!

 

 先頭のコデッタの目にはカノンしか映っていなかった。狙いを彼女一人に定め、後ろのコデッタもそれに続く。

 猛進してくる群れから逃げるように、〈降臨の塔〉に転がり込んだカノンは、

 

「ヴィオレン……ツァエストロ・アウフ……」

 

 差し迫ったこの状況を忘れて、シェントの詠唱に聴き入ってしまいそうになった。

 背後のラウダ神に歌い聴かせるかのごとく、彼はステンドグラスの前で朗々と呪文(チューン)(つむ)いでいる。

 そのシェントに目配せし、カノンは彼の後ろに回り込んだ。直後、コデッタの群れが塔内に飛び込んできた。

 シェントは一際(ひときわ)低い声で、詠唱の終わりを――科術の発動を告げた。

 

「精霊よ、世の(ことわり)乱す我を(ゆる)したまえ――〈鎌鼬(かまいたち)〉」

 

 斧槍(ハルバード)を横に()ぐ。突風が吹き荒れ、三日月の形をした無数の〈風〉の(やいば)がコデッタに襲いかかる。

 本来であれば風そのものは目に見えない。しかし自然の風とは違い、科術の〈風〉は可視である。

 風に舞う草葉のような〈鎌鼬〉が、コデッタに鋭く襲いかかる。

 

 きゅ――っ!?

 

 〈鎌鼬〉に斬りつけられ、虹色の光へ姿を変えるコデッタ。

 まるで幻だったかのように。コデッタが襲ってきたことすら、夢だったかのように。

 拍子抜けするほどあっけない幕引きだった。

 

「カノン、大丈夫だったか? 怪我してない?」

「うん……私は大丈夫」

 

 心ここにあらず、といったふうにうなずくカノン。

 〈鎌鼬〉という大仰な科術を目にして、彼女は〈塔〉の傷を心配しているのかもしれない。

 シェントは塔の中央にしゃがみ込んで床板を凝視した。数え切れないほどの細かな傷が入ったせいで、床の幾何学模様が(かす)れてしまったように感じる。

 

(やっぱり、〈鎌鼬〉を使ったのはまずかったか……)

 

 馬鹿げた妄想かもしれないが、集まったコデッタが再び巨大化しないとも限らない。だから上級科術の〈鎌鼬〉で、コデッタの群れを迎え討つことにしたのだが――

 苦い顔をしながら頭を上げ、壁画に目をやる。この距離ではわからないが、壁の塗料もところどころ()がれているかもしれない。

 冷や汗をかき始めたシェント。

 その背中に、カノンは静かに声を投げかけた。

 

「ありがとう、コデッタを倒してくれて。それに……きれいだった」

「え……?」

 

 予想だにしてなかった言葉に目を丸くして振り向くと、彼女は淡々と続けた。

 

「レジェールの遺体を、まだ見てないからなのかしら。レジェールが殺された実感はないのに、コデッタはあっけなく死んじゃって」

 

 涙を流す代わりに、すべての感情を捨ててしまったかのような顔をして。

 カノンは最後に呟いた。

 

「私は、何を恨めばいいのかな……」

 

 

 

 

 

 シェントがカノンを連れて〈降臨の塔〉から出ると、守護者が(そろ)って深々と頭を下げた。

 

「君の作戦のおかげで、魔物を倒すことができた。心から感謝している」

「い、いえ。俺一人では、あの作戦も実行できなかったので……」

 

 統率の取れたその動きに、シェントは身体を若干後ろに引きながら言った。

 町を回ってコデッタを引き連れてきた――コデッタ自身も仲間を呼び集めた――とはいえ、まだ()ち漏らしもあるだろう。

 

「引き続き町を警らするように。場所は、第一班が――」

 

 団長が指示を飛ばしていると、神殿のほうから十人あまりの町民が駆け寄ってきた。

 彼らを安心させるため、団長は指示を中断して穏やかな声で告げる。

 

「科術使いの協力もあって、魔物はあらかた倒しました」

 

 不安と恐怖に顔を(こわ)ばらせていた町民たちが、一転して安堵(あんど)表情を見せる。

 だが、団長の言葉に引っ掛かりを覚えたのか、途端に怪訝(けげん)な顔をした。

 

「ラウダ様は降臨されていないの?」

「科術……って、どういうことだ?」

「〈塔〉にコデッタを集めて、科術で一掃したんです」

 

 団長の言葉に顔を見合わせ、〈降臨の塔〉へ一斉に駆けていく。

 開け放たれた扉から塔内を覗き込んだ彼らは、後を追ってきた守護団を口々に責め立てた。

 

「科術なんて使ったら、塔が傷つくじゃないの!」

「〈塔〉には聖女様しか入れないんじゃなかったのか!?」

 

 団長が口を開くより先に、シェントが町民の前に立った。

 

「コデッタは小さすぎて、剣や弓矢は当たらないんです。一か所に集めて、科術で倒すほうが効率的――」

「効率のために、〈塔〉に入ったってわけ?」

「科術使いってことは、よそ者だろ? 守護団は何をやってんだ!」

「むしろ守護団が率先したんですよね。〈塔〉やラウダ様を軽視してませんか?」

 

 シェントの弁明に割り込んで、町民が非難の声を上げる。

 

「シェントはラティーを救ってくれたのよ!」カノンが負けじと声を張る。「塔は修復すればいいじゃない!」

「修復? 『寄付』って名目で、また俺たちから金を取るのか?」

「カノン、下がって」

 

 守護者である彼女が(かば)ったところで、話はますます(こじ)れるだろう。シェントはカノンの肩を(つか)んで引き下がらせた。

 その二人を守るように、団長が町民の前に立ちはだかる。

 

「詳しいことは後ほど説明します、今ここで争っても仕方がな――」

「その科術使いを追い出せ!」

 

 気色ばんだ町民たちは、もはや団長の声すら耳に入っていないようだった。

 唐突に、守護者とバッソがその場に(ひざまず)く。

 自分たちに非があると認めるのか。眉をひそめるシェントだが、その行動の理由はすぐにわかった。

 

「何の騒ぎですか」

 

 静かだが良く通る清らかな声に、町民たちが弾かれたように振り返る。ハノンの姿を認識すると、揃って(ひざ)を折り(こうべ)を垂れた。

 ハノンから一番離れたところにいたシェントも、周りに(なら)って膝をついた。

 頭を下げる直前、ちらりとハノンをうかがい見る。

 カノンの姉だけあって、髪や瞳の色だけでなく、目鼻立ちもほとんど同じだ。

 ただ、身にまとっている雰囲気はまるで違っていた。溌剌(はつらつ)としたカノンに対し、ハノンのほうは一見すると冷たい印象を受ける。彼女の怜悧(れいり)な表情は、胸の内を隠す仮面のようにも思えた。

 そのハノンが厳しい声音で言う。

 

「何があったんですか。魔物(コデッタ)はどうしたんですか」

 

 団長に説明を求めたハノンは、彼の話を聞きながら、この場を収める言葉を探していた。

 

「――経緯(いきさつ)はわかりました。皆、頭を上げなさい」

 

 後ろめたさを感じているのか、守護者も町民もハノンと目を合わせなかった。カノンだけは、姉妹喧嘩をしたときのようにハノンを睨んでいる。

 騒動の中心にいる少年もハノンに目を注ぎ続けている。しかしその金色の瞳は、何の感情も映していなかった。

 彼にとっては自分のことすら他人事(ひとごと)なのだろう。だから、彼を利用しても恨まれない気がした。

 ラティーの人間同士が争うようなことだけは、あってはならない。

 

「その旅人が〈降臨の塔〉でコデッタを倒せたのは、ラウダ様が御力(みちから)をお与えになったからでしょう。ですが、〈塔〉を傷つけたことを見過ごすわけにはいきません」

 

 ハノンはシェントではなく、適当な町民に顔を向けながら言う。

 

「彼を追放処分とします。即刻、荷物をまとめてラティーを去りなさい」

「待ってくれ、彼に加勢を頼んだのはオレだ」

 

 下手に口を挟まず、じっと耐えていたバッソがハノンの前に出てきた。

 

「バッソさん、お久しぶりですね。加勢を……というのは、昔の贖罪(しょくざい)のつもりですか?」

「……ハノンの親父さんを、あのとき見殺しにしちまったからな」

「あれは事故です。バッソさんは悪くないと、そう聞きました。……ただ、あなたも彼と同罪だというのなら、共にラティーから出ていってください」

 

 決定が(くつがえ)らないことを悟ったバッソは、シェントに「悪かった」と頭を下げた。

 

「いえ、俺もそろそろ、ここを()つつもりでしたし」

 

 もともとラティーの人間ではないシェントは、追放を言い渡されたところで痛くも(かゆ)くもない。

 よそ者の自分が、責任を取ってここを出ていく。それで町民の溜飲(りゅういん)が下がるのなら構わないと思った。

 

「どうしてシェントを悪者にするの!?」

「ちょっ、カノン?」

 

 ハノンに詰め寄るカノンの手を、シェントはとっさに掴んだ。

 

「怒ってるのか?」

「当り前じゃない! だって、シェントはコデッタを倒してくれたのに……っ」

「でも、追放といったって、もともと旅人だから構わな――」

「そういう問題じゃないでしょ!!」

 

 彼女の手を取ったまま、シェントは助けを求めるようにハノンを見る。

 ハノンはシェントから目を()らして言った。

 

「カノン、彼を外の森まで連行しなさい。裏の門から出ればすぐでしょう」

「俺からも頼むよ。表通りは混雑してたし」

 

 シェントとしてもラティーを出ていくつもりだったのだ。追放されることに不服はない。

 

「なによ、シェントまで……悔しくないのっ!?」

 

 すっかり静まり返った町民たちを睥睨(へいげい)し、カノンはシェントを置いて走り去っていった。