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 広場に発煙筒が()かれ、やがて二十人ほどの守護団員が集まった。バッソが適当な守護者に招集をかけさせたのだ。

 加勢を申し出るシェントに対し、バッソよりやや年下と(おぼ)しき精悍(せいかん)な顔つきの男は、

 

「一般人を巻き込むわけにはいかない」

 

 と、なかなか首を縦に振らなかった。

 

「団長さんよ、武闘大会にカルカンドが乱入したのは聞いてるだろ?」すかさずバッソが口を挟む。「シェントはな、そのカルカンドを科術で倒してくれたのさ!」

「うわっ!?」

 

 バッソに文字通り背中を押され、シェントは守護者たちの前に出た。団長にちらりと視線を送るも、彼は険しい表情のまま何も言わなかった。

 

「作戦を簡単に説明すると――守護者の皆さんには、同じ時間、同じ場所にコデッタを連れてきてほしいんです。俺がそこで科術を発動させれば、コデッタを一掃できるはずです」

「その場所とやらは?」

 

 と、腕組みをした団長が問う。

 

「人がいなくて、ある程度の広さがあるところ――〈降臨の塔〉が最適じゃないかと」

 

 守護者たちがどよめいた。

 

「〈塔〉には聖女様しか入れないはずだろ?」

「作戦は悪くないけど、場所は他にもあるんじゃない?」

「なにも〈塔〉じゃなくても。どこか空き家とか……」

 

 シェントが露骨に顔をしかめる。

 他に妙案があるのか。そう言ってやろうかと、身を前に乗り出したときだった。

 

「遅くなってごめんなさい!」

 

 弓矢ではなく(ほうき)を手にしたカノンが、輪の中に割って入ってきた。

 

「カノン、宿舎にいなさいと言ったでしょう!?」

「矢が当たらないのはわかってるわ。だから箒を持ってきたの」

「そういう問題じゃ――」

 

 赤毛に近い金髪を三つ編みにした女が、語気を強める。

 カノンより一回り年上の彼女――リエは、執務室でカノンの報告を聞いたあと、待機するよう命じていたのだった。

 

「どうして私だけ待機なの? 私が聖女様(・・・)の血縁だから!? 攻撃が当たらないのは剣や槍も同じじゃない! ねえ、レジェール!? ……レジェール?」

 

 カノンはレジェールを探すように輪を見回した。

 レジェールがいない。

 それはシェントも気になっていることであった。

 商店街で聞こえた、レジェールを制止する声。あのとき、彼は巨大コデッタに挑んだのではないか。

 

「レジェールは? お姉ちゃ――ハノン様のところ?」

 

 誰か知っている者はいないかと、互いに顔を見合う。

 その中でただ一人、壮年の男が天を仰いで唇を噛みしめる。

 男は震える声で告げた。

 

「レジェールはコデッタに殺された。あのデカいコデッタに先陣斬って、それで――」

「うそ、でしょう……?」

 

 カノンが思わずといったふうに呟いた。冗談を言うはずがないとわかっていても、そう聞かずにいられなかった。

 誰かと見間違えているのではないか。大怪我(おおけが)をしていても、一命はとりとめているのではないか。

 今すぐ駆け出していって確かめたいのに、足が動かない。彼の居場所を尋ねたいのに、声が出ない。

 何も喋らないのは皆同じだった。

 

「カノン、やっぱり宿舎で待機していたほうが――」

 

 沈黙に耐えられなくなったのか、リエが口を開く。

 気をつかわれ、むしろカノンの頭ははっきりした。聞き分けのないことを言っている場合ではない。

 

「悲しむことは、あとでだってできるわ。今は従妹(いとこ)の私が、レジェールの分までラティーを守らないと」

「――カノンの言う通りだ、悠長にしている場合ではない。そこの彼が提案してくれたように、〈降臨の塔〉でコデッタを迎え討つ。それでいいな?」

 

 団長の言葉に、皆、静かにうなずいた。今度は誰も反対しなかった。

 

 

   ♪ ♪ ♪

 

 

 シェントは神殿のある丘を越え、〈降臨の塔〉まで辿(たど)り着いた。近くで見る塔は想像以上にずんぐりむっくりしていた。

 扉に手を掛けようとして、南京錠に気づき舌打ちをこぼした。

 

「鍵あるか聞いときゃよかった」

 

 髪紐を(ほど)き、端をほつれさせて中の針金を露出させる。それを鍵穴に射し込んで錠をこじ開け、塔の中に滑り込んだ。

 

「これは……すごいな」

 

 床には見たことのない幾何学模様が広がり、壁には神話を再現した絵が描かれていた。火柱が上がり稲妻が落ちる中、守護者と魔族が死闘を繰り広げている。両者の区別は遠目ではつきづらかったが、魔族の肌は青白く、耳の先が尖っていた。

 さらに、シェントの正面にある大きな窓には、色のついたガラスで武神ラウダが表現されていた。神殿にあったタペストリーと同じく、四本ある腕には剣と槍、そして弓矢が握られていた。

 その猛々(たけだけ)しいラウダ神の姿は、外から射し込む光を通して床の上にも映っていた。

 シェントは扉の真向かい、つまり窓の前に立って、その時を待った。

 

 頭上から十一時を告げる鐘の音が降ってきた。

 

 鐘が鳴り響く中、シェントは指輪の科石に呪文(チューン)を唱え始める。

 身体に覚えこませるため、何百回、何千回と詠唱してきた呪文だ。シェントにとっては歌を口ずさむことと変わらない。

 国の外で生き残るため、身に着けた(すべ)の一つだった。

 

「ルフ・ティヒエル……アン・テ・セヴェーロス……」

 

 シェントが育った国は、大陸の北外れにある小さな都市国家だった。

 旅人が訪れることなど滅多にないその地に、〈コード〉という旅集団がやって来たのは、よりにもよって冬の初めのことだった。

 雪解けまでの二か月余り、アーチェと名乗る少女は、旅の話や仲間のことをいろいろと聞かせてくれた。彼らは血の繋がりこそないが、互いのことを家族のように思っていた。

 

「フォルツァート……オ・ラージュ……」

 

 シェントがルーエまでの旅路を急いだ理由。

 それは、彼女の仲間に(たく)された形見(・・)を、アーチェに渡すためだった。

 

「トルメンタ……シュ・トゥルム・ヴィン……」

 

 武闘大会のことはアーチェから聞いていた。彼女が参加するつもりでいることも。

 他に(あて)も手がかりもなかったシェントは、(わら)にもすがる思いでルーエを目指した。再会できなければ、アーチェとの出会いそのものを忘れるつもりでいた。

 だから、ルーエの近くの森で彼女に会えたことは、奇跡に近かった。

 

『おまえ……追い剥ぎか?』

 

 しかし半年ぶりに会った彼女は、顔つきも口調もまるで違っていた。彼女の落としたアンクレットを見てようやく、アレグロがアーチェであると確信したくらいだ。

 とはいえ、自分も旅を続けるうちに雰囲気が変わったかもしれない。髪の色も国を出る前に地毛に戻した。そのせいで彼女に気づかれないのかと、シェントは思っていたのだが。

 

『私、半年前までの記憶がないの』

 

 アンクレットを返すときになって初めて、彼女が記憶喪失であることを知った。

 

『過去に(こだわ)らず、前を向くつもりだ』

 

 そのアレグロが、失った過去を追い求めるのではなく、新たな未来を歩もうとしているのなら。

 

 ――自分も彼女と関わらず、別の道を行こうと決めたというのに。

 

「トゥ・ラカーン……ア・イリヒ……」

 

 右手の指輪に呪文を唱えながら、ふとシェントは手首の組紐(くみひも)を見つめた。世話になったお礼だと、アレグロは言っていた。

 闘技場に乱入したカルカンドを倒したときには、彼女は不思議そうにしていたというのに。

 

『どうして、そこまでして私を助けた?』

 

 ――それは、俺が君の魔術に、命を救われたからだよ。