3
――会ったところでどうするのか。
自問を繰り返しながらも、シェントは少女のもとへ足早に近づいていく。
少女は窓に面した席に腰かけ、外の風景を眺めていた。否、正確にはガラスに反射する店内を見ているのだろう。その証拠に、窓に映る彼女と目が合ってしまった。
とうとう心を決めたシェントは、
「昨日はどうも」
皮肉の響きを込めて彼女に話しかけた。
「昨日?」
白いワイシャツと色褪せた黒のズボンという簡素な服装をした少女が、冷めた目で振り返る。
「その声……おまえ、どこかで――」
「だ、だから昨日、そこの森で!」
シェントの声は変に裏返った。
少女は軽く目を閉じ、
「――ああ、あのときの」
数秒かけてようやく思い出したようだった。
だが――
「ここまで来るとは、いったい何の用だ?」
あらぬ誤解、再び。
少女は腰を浮かせ、腿に装備している棒手裏剣に右手を添えた。
「偶然だ、偶然っ!」
とっさに喚くシェント。
自分と同年代だと思われるこの少女は、どうも早合点が過ぎるというか、常に何かを警戒しているように見える。その姿は路地裏を忍び歩く猫を連想させた。
「……そこ、誰か来る?」
シェントは隣の椅子に目を落とした。そこには彼女の黄土色のコートが置かれている。
「……」
少女はコートを膝に乗せ、無言で窓のほうに向き直った。
シェントは椅子に腰かけると、彼女の空のグラスに目をやり、通りかかった給仕を呼び止めた。「ワインを二杯」と注文を口にして、
(さっきの勘定、払ってない)
はっとして顎髭の席を振り返った。
視線を察知したのか、顎髭は歯を見せながら笑い、ぐっと親指を立てた。
彼に軽く頭を下げてから、シェントは改めて少女に話しかけた。
「ええと、俺はシェント。君は?」
「――アレグロ」
少女――アレグロはこちらに顔を向けるでもなく、独り言のように呟いた。そのせいで、それが彼女の名だとすぐには気づかなかった。
「アレグロは昨日、どうしてあんなところにいたんだ?」
「おまえのほうこそ」
「俺? ちょっと一狩りしようかと」
曖昧に答えながらシェントは少女の横顔を盗み見る。顔立ちには幼さが残っているが、物事を諦観しているかのような、気怠げな表情が貼りついていた。
そのアレグロが、「そんな得物で?」とテーブルに立てかけられた長物を一瞥する。
若草色の布に包まれているそれは、シェントの「科器」――斧槍だ。穂先にある三日月型の斧頭と、小型の鉤爪が、刺突や斬撃など多彩な攻撃を可能にする。一方で、身長より長いそれを振り回すにはある程度の空間が要求される。
斧槍使いが単身で森に踏み込むことは自殺行為に等しいと、シェントも重々承知していた。
「金がなかったからな。旅の途中で仕事してたら、大会に間に合わなかっただろうし」
所持金をかき集めてルーエに入ったところで、宿代はおろか、食事代すら払えそうになかったのだ。街中で野垂れ死ぬよりも、森で魔獣にひと思いに殺されるほうが、まだ矜持を保てる。
貧乏な旅を続けてきたシェントからすれば、アレグロは金に困っているように見えなかった。清潔そうな白いワイシャツは最近買い替えたものだろう。危険を冒してまで狩りをする必要などなかったはずだ。
「そこまで急いでいたのなら、おまえも大会に出場するのか?」
問いに問いで返されたときには会話を拒んでいるのかと思ったが、意外にも彼女は質問を続けた。
「いや、せっかくだから見に来ただけさ。五年に一度しかないって聞いたから」
「……観戦のためだけに、路銀も稼がずここまで来たのか」
アレグロに呆れ顔を向けられて、シェントは言い訳のように旅の理由を語る。
「ちょうど家を追い出されたんだよ、数か月前に。せっかく旅するなら、いろいろと見て回りたいと思ってさ」
「そう……」
アレグロはグラスに手を伸ばした。しかしそれはすでに空で、所在なげに指でグラスをなぞる。
「おまえも、一人なのか」
「あ……」
シェントの憶測が確信に変わった。仲間と別行動をしている可能性も考えたが、やはり彼女は一人で旅をしているようだ。
女の一人旅ならば、良くない輩に声をかけられることも少なくあるまい。彼女の硬い口調も、他人を寄せつけないために身に着けたものかもしれない。
旅の理由を尋ねていいものかとシェントが逡巡していると、給仕がワインを運んできた。
「お待たせしましたー」
奢るつもりで注文したものの、金がないと打ち明けたばかりできまりが悪い。グラスを手に取ったシェントは、アレグロに乾杯を促せなかった。
アレグロがワインを見つめたまま口を開いた。
「あのまま一人だったら、私は死んでいたのだろうな」
「え、なんで?」
シェントが聞き返すのももっともだった。自分などいなくとも、彼女一人でカルカンドを倒せたのだから。
しかしアレグロは答えず、背後の柱時計を確認すると立ち上がってコートを羽織った。その裾は膝下まであり、前身頃のボタンをとめると腿の棒手裏剣が隠れた。
「時間か」
つられてシェントも時計を振り返る。針は十一時を指していた。あと一時間もしないうちに本日の第二試合、話に聞いた優勝候補の初戦が行われるのだが――つまりは。
「バッソの初戦の相手って、もしかして――」
「バッソ? ああ、そのような名前だったかもしれない」
アレグロは紙幣と文鎮代わりの硬貨をテーブルに乗せ、シェントが呼び止めるのも聞かずに颯爽と去っていった。
あなたもジンドゥーで無料ホームページを。 無料新規登録は https://jp.jimdo.com から