26
翌朝、東の空が白み始めた頃。
二段ベッドの下で寝ていたアレグロは、上段のベッド裏をぼうっと見つめていた。そこで寝ているアルトの、すうすうと規則正しい寝息が聞こえてくる。
今日こそ彼は次の護衛を探すのだろう。
昨日は神殿を出たあと雨に降られてしまった。宿舎でカノンの手伝いをして、夜は早めに就寝したのだった。
「……鍛錬でもしよう」
起き上がって、隣のベッドの下段を覗き込む。うつ伏せになったシェントの背に銀髪が広がっていた。
二人とも寝入っていることを確認し、アレグロは素早く着替えて棒手裏剣を装備した。
物音を立てないように部屋を抜け出し、中庭へ向かう。
芝が刈り込まれた中庭の端で、カノンが弓を構えていた。
「おはよう、早いのね。もしかして起こしちゃった?」
結い上げた髪を揺らして彼女が振り返った。
アレグロは静かに首を横に振った。
カノンが的にしていた木々を指す。幹には板が括りつけられ、矢が突き刺さっていた。
「私も使っていいだろうか」
「もちろん」
カノンは笑ってうなずいた。
次の矢をつがえた彼女の横で、アレグロが腿のホルスターから棒手裏剣を引き抜く。矢が放たれるより早く投げつける。
六本を立て続けに投擲し、六本とも的の中心に突き刺さった。
すごい、と声を漏らしたカノンに、
「標的が動いていないから」
自慢するでも謙遜するでもなく、アレグロは平然と言った。
各々、普段の鍛錬をこなしていく。
昨夜の雨露が朝日に輝きだした頃、二人は的を片付け始めた。
「いつまでラティーにいるのか、アレグロは決めてないのよね」
「ファルルが次の護衛を見つけるまでは、一応『仕事』だから」
「それじゃあ、シェントは『仕事仲間』?」
「ファルルが仲間だと誤解しただけだ。この仕事が終われば別れる」
「将来を誓い合って、一緒に旅してるのかと思ってたわ」
カノンがくすくすと笑う。
「私、そういう話もあまりしたことがないから」
「そういう話?」
アレグロが首を傾げる。
カノンは一転して寂しそうに目を伏せた。
「私、ずっと好きな人がいるんだけど、ラティーの皆には絶対言えない相手だから」
興味がないのか、『そういう話』に疎いのか。ただ瞬きするだけのアレグロを、カノンが肘で小突く。
「アレグロはどうなのよ、シェントのこと」
「どう、って」
「一緒に旅してて、ちょっといいなと思うこととか、ないの?」
「……いい人だとは、思っている」
「あー、そうね」
自分から聞いておきながら、投げやりに相づちを打つカノン。
――脈ナシだ。この話は発展しない。
だが、アレグロはぽつりぽつりと続ける。
「旅の途中、何度も助けてもらった。出会ったときも。だから、最後に何か礼をしたいのだが――何がいいと思う?」
「そうねえ、荷物にならないような物……アクセサリーとか?」
「シェントって付けるのだろうか」
問われて、カノンは彼の姿を脳裏に描く。
――見目は良いのだが、きらびやかな格好は似合わない気がする。彼が気さくな人だからだろうか。
「…………」
沈黙を笑うかのように、そよ風に吹かれた木々がさわさわと音を立てる。
二人は顔を見合わせて小さく吹きだした。
♪ ♪ ♪
「あのね、ちょっとお願いがあるんだけど。シェントとアレグロで、買い物に行ってきてくれない?」
朝食の時間、食堂にやってきたカノンが三人の前で両手を合わせた。
何かしら恩を返したかったシェントは、二つ返事で引き受けた。
「他にも手伝えることがあったら言って」
「買い物に行ってもらうだけでいいの、二人で。ファルルは、えっと……お掃除とか手伝ってくれる?」
――というわけで。
シェントとアレグロは、部屋に得物を置いて商店街に来た。
食品や日用品、衣類、土産物、果ては武器まで。長い坂道の両脇に、さまざまな店が軒を連ねている。
二人は青果店に入り、羊肉のソースに使うプラムを買った。
「俺一人でよかったような」
籠を手に提げたシェントがぽつりとこぼす。カノンには「二人で」と言われたが、一人でも持ち帰れる量だった。
二人は早々に来た道を引き返すことにした。
路肩の荷車の前を通りかかったとき、ふとアレグロが足を止めた。屋根のついた荷台には毛織物の絨毯やバッグ、時期は早いがマフラーなどが所狭しと並べられている。
「いらっしゃい、旅の記念にどう? ラティーは毛織物が盛んなの。神殿のタペストリーは見たでしょう?」
「あそこまで大きなものは初めて見ました」
店の女に話しかけられ、シェントがにこやかに答えた。
その隣で商品を眺めていたアレグロが、黄緑を基調とした組紐を手に取る。
「これは……?」
「いろいろ使えるわよ。ブレスレットとして腕に巻いたり、髪を束ねたり。彼も、お揃いでどうかしら」
「い!? いや、俺は彼氏じゃなくて」
「私が言った『彼』は、そういう意味じゃないけどね」
「……ああ、そうですか」
女がにこりと笑う。嫌味な笑みではないが、からかわれてシェントは珍しく口を尖らせる。
聞いているのかいないのか、アレグロは無言で商品を女に差し出した。
「ありがとう。さっそく付ける?」
「わからな――結構だ」
アレグロは大きな硬貨一枚と引き換えに女から紙袋を受け取り、胸の前で握りしめながら歩き出した。
「シェントは、おしゃれとか興味ない?」
「俺? もしかしてダサい!? た、たしかに……最近ずっと、髪だって適当だし……」
シェントは髪ではなく耳朶を触った。昔はピアスなぞつけていたが、旅に出てすぐ換金してしまったのだ。
「その髪紐、結びにくくない?」
「ああ、これ? 端がワイヤーになってて、何かと便利なんだよね」
「…………そう」
くしゃり。アレグロが紙袋を握りしめたのを、シェントは見逃さなかった。
あなたもジンドゥーで無料ホームページを。 無料新規登録は https://jp.jimdo.com から