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 翌朝、東の空が白み始めた頃。

 二段ベッドの下で寝ていたアレグロは、上段のベッド裏をぼうっと見つめていた。そこで寝ているアルトの、すうすうと規則正しい寝息が聞こえてくる。

 今日こそ彼は次の護衛を探すのだろう。

 昨日は神殿を出たあと雨に降られてしまった。宿舎でカノンの手伝いをして、夜は早めに就寝したのだった。

 

「……鍛錬(たんれん)でもしよう」

 

 起き上がって、隣のベッドの下段を覗き込む。うつ伏せになったシェントの背に銀髪が広がっていた。

 二人とも寝入っていることを確認し、アレグロは素早く着替えて棒手裏剣(スローイングナイフ)を装備した。

 物音を立てないように部屋を抜け出し、中庭へ向かう。

 芝が刈り込まれた中庭の端で、カノンが弓を構えていた。

 

「おはよう、早いのね。もしかして起こしちゃった?」

 

 結い上げた髪を揺らして彼女が振り返った。

 アレグロは静かに首を横に振った。

 カノンが的にしていた木々を指す。幹には板が(くく)りつけられ、矢が突き刺さっていた。

 

「私も使っていいだろうか」

「もちろん」

 

 カノンは笑ってうなずいた。

 次の矢をつがえた彼女の横で、アレグロが腿のホルスターから棒手裏剣を引き抜く。矢が放たれるより早く投げつける。

 六本を立て続けに投擲(とうてき)し、六本とも的の中心に突き刺さった。

 すごい、と声を漏らしたカノンに、

 

標的(まと)が動いていないから」

 

 自慢するでも謙遜(けんそん)するでもなく、アレグロは平然と言った。

 各々、普段の鍛錬をこなしていく。

 昨夜の雨露が朝日に輝きだした頃、二人は的を片付け始めた。

 

「いつまでラティーにいるのか、アレグロは決めてないのよね」

「ファルルが次の護衛を見つけるまでは、一応『仕事』だから」

「それじゃあ、シェントは『仕事仲間』?」

「ファルルが仲間だと誤解しただけだ。この仕事が終われば別れる」

「将来を誓い合って、一緒に旅してるのかと思ってたわ」

 

 カノンがくすくすと笑う。

 

「私、そういう話もあまりしたことがないから」

「そういう話?」

 

 アレグロが首を傾げる。

 カノンは一転して寂しそうに目を伏せた。

 

「私、ずっと好きな人がいるんだけど、ラティーの(みんな)には絶対言えない相手(ひと)だから」

 

 興味がないのか、『そういう話』に疎いのか。ただ瞬きするだけのアレグロを、カノンが(ひじ)で小突く。

 

「アレグロはどうなのよ、シェントのこと」

「どう、って」

「一緒に旅してて、ちょっといいなと思うこととか、ないの?」

「……いい人だとは、思っている」

「あー、そうね」

 

 自分から聞いておきながら、投げやりに相づちを打つカノン。

 ――脈ナシ(・・・)だ。この話は発展しない。

 だが、アレグロはぽつりぽつりと続ける。

 

「旅の途中、何度も助けてもらった。出会ったときも。だから、最後に何か礼をしたいのだが――何がいいと思う?」

「そうねえ、荷物にならないような物……アクセサリーとか?」

「シェントって付けるのだろうか」

 

 問われて、カノンは彼の姿を脳裏に(えが)く。

 ――見目は良いのだが、きらびやかな格好(かっこう)は似合わない気がする。彼が気さくな人だからだろうか。

 

「…………」

 

 沈黙を笑うかのように、そよ風に吹かれた木々がさわさわと音を立てる。

 二人は顔を見合わせて小さく吹きだした。

 

 

   ♪ ♪ ♪

 

 

「あのね、ちょっとお願いがあるんだけど。シェントとアレグロで、買い物に行ってきてくれない?」

 

 朝食の時間、食堂にやってきたカノンが三人の前で両手を合わせた。

 何かしら恩を返したかったシェントは、二つ返事で引き受けた。

 

「他にも手伝えることがあったら言って」

「買い物に行ってもらうだけでいいの、二人で(・・・)。ファルルは、えっと……お掃除とか手伝ってくれる?」

 

 ――というわけで。

 シェントとアレグロは、部屋に得物(ぶき)を置いて商店街に来た。

 食品や日用品、衣類、土産物、果ては武器まで。長い坂道の両脇に、さまざまな店が軒を連ねている。

 二人は青果店に入り、羊肉のソースに使うプラムを買った。

 

「俺一人でよかったような」

 

 (かご)を手に()げたシェントがぽつりとこぼす。カノンには「二人で」と言われたが、一人でも持ち帰れる量だった。

 二人は早々に来た道を引き返すことにした。

 路肩の荷車の前を通りかかったとき、ふとアレグロが足を止めた。屋根のついた荷台には毛織物の絨毯やバッグ、時期は早いがマフラーなどが所狭しと並べられている。

 

「いらっしゃい、旅の記念にどう? ラティーは毛織物が盛んなの。神殿のタペストリーは見たでしょう?」

「あそこまで大きなものは初めて見ました」

 

 店の女に話しかけられ、シェントがにこやかに答えた。

 その隣で商品を眺めていたアレグロが、黄緑を基調とした組紐(くみひも)を手に取る。

 

「これは……?」

「いろいろ使えるわよ。ブレスレットとして腕に巻いたり、髪を束ねたり。彼も、お(そろ)いでどうかしら」

「い!? いや、俺は彼氏じゃなくて」

「私が言った『彼』は、そういう意味じゃないけどね」

「……ああ、そうですか」

 

 女がにこりと笑う。嫌味な笑みではないが、からかわれてシェントは珍しく口を尖らせる。

 聞いているのかいないのか、アレグロは無言で商品を女に差し出した。

 

「ありがとう。さっそく付ける?」

「わからな――結構だ」

 

 アレグロは大きな硬貨一枚と引き換えに女から紙袋を受け取り、胸の前で握りしめながら歩き出した。

 

「シェントは、おしゃれとか興味ない?」

「俺? もしかしてダサい!? た、たしかに……最近ずっと、髪だって適当だし……」

 

 シェントは髪ではなく耳朶(みみたぶ)を触った。昔はピアスなぞつけていたが、旅に出てすぐ換金してしまったのだ。

 

「その髪紐、結びにくくない?」

「ああ、これ? 端がワイヤーになってて、何かと便利なんだよね」

「…………そう」

 

 くしゃり。アレグロが紙袋を握りしめたのを、シェントは見逃さなかった。