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 森を抜け、二基の塔から成る(ラティー)の裏門を通ってしばらく行くと、三階建ての大きな屋敷が見えてきた。そこに招かれた一行は傷の手当てを受け、空き部屋を借りて一夜を明かした。

 部屋には二段ベッドが二台置かれていたが、シェントが目を覚ましたときには誰もいなかった。

 

「もう朝!?」

 

 慌てて飛び起きてカーテンを開ける。雲の多い空模様だが、朝日はすでに昇っていた。

 急いで着替え、いつもの紐で髪を束ねていると、アレグロが部屋に戻ってきた。

 

「アレグロ! 大丈夫か?」

「シェントのほうこそ」

 

 つかつかとシェントに詰め寄り、アレグロは彼の右手をそっと取った。手首から(ひじ)にかけて巻かれた包帯に、うっすらと血がにじんでいる。

 

「利き手じゃないから平気平気」

 

 無傷の左手をひらひらと振ってみせるシェント。

 

「ごめんなさい……私が戦えなかったせいで、怪我(けが)をさせた」

「いや、これは俺が後先考えずに突っ込んだせいで」

「だが――」

 

 視線をシェントの右腕に落としたまま、アレグロは口を(つぐ)む。

 腕にワンピースを巻きつけた時点で、何も考えていないわけがない。(はな)から負傷を覚悟しての行動だろう。

 しかしそれを指摘したところで、はぐらかされるに違いない。

 

「……一人のときは、他人(たにん)から渡されたものを飲むなんて真似、しなかったのだが」

「いいんじゃないか、べつに」

「え?」

 

 アレグロは眉をひそめて顔を上げた。

 

「俺だって、アレグロに引き止められてなかったら、真っ先に切りつけられてたんだぞ? (だま)されて毒を盛られたのも、もとはといえば俺のせいだし」

 

 右手を引っ込め、気まずそうに頭を()くシェント。

 

「だから……失敗したって、互いに助け合えばいいだけさ。アレグロも、今は一人じゃないんだから。ずっと気を張ってる必要もないんだよ」

 

 雲の隙間から太陽が顔を出したのだろう。

 シェントの背面から急に光が射し込み、アレグロは目を細める。

 

「シェントは優しいね」

「……っ、誰にでも優しいわけじゃねえよ」

 

 照れ隠しなのか、シェントはぶっきらぼうに言った。

 

「私がシェントと同じ、独りぼっちだから?」

「そう、だな。だからほっとけないんだ」

「――だったら、私でなくてもいいと思う」

 

 アレグロはまっすぐにシェントを見つめる。

 彼の表情は逆光のせいで読み取れない。

 

「なんだって……?」

「一人で旅をしてる人は、他にもたくさんいるから」

 

 ――自分は、シェントが気にかけるに値する人間ではない。

 

 そもそも、魔族は人と呼べるのだろうか。

 毒で身体が動かずとも、魔術は発動できたかもしれない。だが、アレグロはそれを試さなかった。

 魔術であの場を切り抜けたところで、シェントや守護者に敵とみなされ、戦闘になっていただろう。

 自分の身を守るため、魔術を使わない選択をした。たとえ、シェントを見殺しにすることになろうとも。

 そんな自分に、彼と共にいる資格などない。

 だから――

 

「護衛の任務が終わったら、他の仲間を見つければいい」

「……じゃあ、アレグロは? また一人になるつもりなのか?」

「私、は……」

 

 口ごもるアレグロに、シェントは食い気味に言う。

 

「もしも、だけどさ。〈コード〉を探すなら、俺も一緒についてくよ。記憶喪失の君を、一人になんてできないし……」

 

 アレグロの心臓が跳ね上がる。

 記憶喪失というのは、自分の正体を明かさずに済むように、とっさについた嘘だ。

 その嘘に、これ以上シェントを付き合わせるわけにはいかない。彼の親切心を(もてあそ)ぶつもりなどなかったのに。

 

(本当のことなんて言えないから――せめて、私は大丈夫だから気にしないで、って伝えないと)

 

 シェントを見据えたままのアレグロは、無意識にシャツの(すそ)を握っていた。

 

「〈コード〉のことは、もういい。過去に固執せず、前を向くつもりだ」

「……そ、っか。そうだよな、これからどう生きるかだよな」

 

 うんうんうなずくシェントから視線を()らし、

 

支度(したく)が終わったら食堂に来て。朝食、用意してもらったから」

 

 そう言い置いて、アレグロは逃げるように部屋を出た。

 

 

 

 

 

 部屋に残されたシェントはしゃがみ込み、組んだ両手に額を付けた。

 

「前を向く、か……」

 

 左腿に巻きつけている革製のポーチに手を伸ばし、紫色の小さな布袋を取り出す。金糸の刺繍(ししゅう)(ほどこ)された袋を開け、中のネックレスを手に取った。

 乾いた血が付着していて一部しか見えないが、銀板(プレート)には模様が刻まれている。

 

「悪いな、渡せそうにないや」

 

 シェントはネックレスをきつく握りしめ、かつての持ち主に小声で()びた。

 

 

   ♪ ♪ ♪

 

 

「…………」

 

 食堂のテーブルについたシェントは、しばし言葉を失っていた。

 大きな一枚皿には白いパンと()でた卵、新鮮な生の野菜が盛られている。野菜についた水滴が、テーブル横の窓から降り注ぐ光にきらめく。皿の脇にはバターやジャムの(びん)が並び、果物の入った(かご)まで置かれていた。

 アレグロとの話で気落ちしていたシェントだが、いつもより豪勢な朝食を前にして、勝手に腹の虫が鳴った。

 

「……白いパンなんて三か月ぶりか?」

 

 パンをちぎって口に入れ、黙々と食べ進めていく。

 すでに食事を終えていた二人も、シェントに付き合って紅茶を飲んでいた。隣で窓越しに中庭を眺めていたアレグロが、「それにしても」と口を開く。

 

「守護団の宿舎だと聞いたが、かなり立派な造りだな」

「昔、ラティーは領主の居住地でしたから。この建物に住んでいたのではないでしょうか」

 

 アレグロと相対して座るファルル、もといアルトがカップを置いて語った。

 その背後から近づいてくるカノンに気づき、シェントは居住まいを正した。(ひざ)に手を置いて深々と頭を下げる。

 

昨日(さくじつ)は危ないところを救っていただいて、何とお礼を言ったらいいか――」

「いいのよ、昨日も言ったでしょ? 守護者として当然のことなんだから、って」

 

 柔和な笑みを浮かべながら、きっぱりと言うカノン。

 雪原に咲く花のような可憐(かれん)さと、芯の強さをシェントは感じた。

 

「そういえば、『守護者』って何なんだ?」

「平たく言えば、ラティーや周辺を守る自警団かしら。あとは聖女様の護衛とか、儀式でのお手伝いとか。『守護聖女』から任命される公職みたいなものよ」

 

 その守護者の一人、カノンと共に一行を助けたレジェールが、食堂に入ってきた。

 落ち着いた色の金髪に、澄んだ海のような碧眼(へきがん)。目を引くような派手さはないが、容姿や言動から品が漂っている。

 

「やあ、具合はどうだい」

「私はもう大丈夫。世話になった」と頭を下げるアレグロ。

「俺も――」

「シェントはまだ治っていないだろう?」

 

 アレグロはテーブルの下でシェントの右手を握った。

 

「シェントくん、だっけ。本当に大丈夫かい?」

「だ、大丈夫……です」

 

 心配そうに首を傾げるレジェールに、シェントは(うつむ)きながら左手を軽く上げた。

 

「ところで君たち、今日の予定は?」

「神殿へ行くつもりです」

 

 次の護衛を探すためにラティーを訪れたファルルだが、初日の今日は神殿で祈りを捧げるつもりでいた。

 

「カノン、案内してきたら? 今日は警らの当番ではないだろう?」

(みんな)は忙しいのに、私だけそんな……」

「ラティーを案内するのも守護者の立派な仕事だよ」

 

 レジェールはわざとらしく肩をすくめる。

 歯切れの悪かったカノンが、灰色の瞳を輝かせた。

 

「身支度してくるわね!」

「俺もまだ食べ終わってないから、急がなくても――」

 

 聞いているのかいないのか、カノンは慌てたように食堂を出ていった。

 ファルルはレジェールに向かって小さく頭を下げた。

 

「すみません、お忙しいのに」

「お気になさらず。巡礼の時期ではないのだけどね、武闘大会にカルカンドが乱入したせいか、聖地(ここ)を訪れる方が増えているのさ」

「私たちも似たようなものだな」

 

 アレグロの皮肉めいた呟きにファルルは苦笑いを浮かべた。

 グラツィオーソ王国では精霊信仰が一般的である。

 種まきの時期には〈土〉の精霊に豊穣(ほうじょう)を願う。病にかかれば生命力を高めるために、〈炎〉の精霊に祈祷(きとう)する。そういった(まじな)いが現代でも行われている。

 しかし魔族再来の噂が現実味を帯びてきた今、グラツィオーソの守護神ラウダに祈る者が急増したのだった。

 

「カノンは少々頑張りすぎるきらいがあってね。大人たちに囲まれて育ったせいもあるのかな。ここに滞在中、仲良くしてやってね」

「ここに滞在、ですか」

 

 シェントにしては珍しく渋い顔を見せる。

 

「こんなにいい食事、何日も食べられるだけの手持ちがなくて……」

「お金のことなら気にしなくていいよ。何週間もここにいるわけじゃないだろう?」

「すみません、恩に着ます。掃除でも洗濯でも、何か手伝えることがあったら――」

「ははっ、それはカノンに聞いてみて」

 

 レジェールはシェントの申し出をやんわりとかわし、目を細めて微笑(ほほえ)んだ。

 

「話し込んで悪かったね、私もそろそろ行くよ。――また神殿で会うかもね」