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 その耳に届いたのは、シェントではなく男の絶叫だった。

 

「があっ!?」

 

 男を含め、全員が驚いた顔でそれ(・・)刮目(かつもく)する。

 男の右肩に、背中側から矢が突き刺さっていた。

 

「な、なんだ!?」

 

 振り返った男の足を、二本目の矢が地面に縫いつける。

 

「ぎゃあ!」

「動かないで!」

 

 一同の視線が矢の飛んできた方向に集中した。

 

 真っ赤なジャケットに白のスカートという目を引く格好(かっこう)をした少女が、木々の間で弓を構えている。高く結い上げられた白髪(はくはつ)が、怒りに震えるかのごとく風に揺れていた。

 

「さすがだね、カノン」

 

 少女のさらに後ろから現れた金髪の青年も、ズボン以外は彼女と同じ服装だった。軍服のようにも見えるが、二人とも肩章や勲章の(たぐい)は身につけていない。

 

「あなたですか。近頃、巡礼者を(さら)っているのは」

 

 カノンが男を縛り上げる間、青年は剣を突きつけたまま問うた。

 

「テメエら何様のつもりだ!」

「名乗りが遅れました、レジェールと申します。ラティー守護団の副団長を務めております」

 

 わざとらしく丁寧な口調で述べるレジェール。

 その「守護団」に敵愾心(てきがいしん)を燃やすかのごとく。

 

 ぐるぅぅぅ……

 

 低い(うな)り声が森に(とどろ)く。

 レジェールは瞬時に振り返り、背後から迫るカルカンドを斬りつける。

 続けざまに、レジェールの反対側――馬車の近くにカルカンドが飛び出してきた。馬が高く(いなな)いた。

 

「任せて!」

 

 カノンが矢を(つが)え、カルカンドに狙いをつける。その背後から男が体当たりを食らわせた。

 

「きゃっ!?」

「ハッ、ざまあみやがれ!」

 

 つんのめって地に手をついたカノン越しに、男は二人の少女と奥にいるカルカンドを見て嘲笑(あざわら)った。

 

()、ぇ……」

 

 舌まで麻痺したアレグロが、ファルルに「逃げろ」と必死に訴えかける。

 

「ぼく、が、僕しか……わ、わあああっ!!」

「――っ!!」

 

 ファルルはしかし、意を決したようにアレグロに覆い被さった。

 

「ちきしょう!!」

 

 ようやく身体の自由を取り戻したシェントが、落ちていた水色のワンピースを掴み上げて駆ける。

 ワンピースを右腕に巻きつけ、二人とカルカンドの間に飛び込む。右腕を噛ませて牙を封じ、間髪入れずに額にナイフを突き刺した。

 

 ぎぁおぉぉぉっ!!

 

 咆哮し、シェントの腕から離れたカルカンドは、腐葉土に落ちてびくりと跳ね上がった。そして二度と動かなくなった。

 

「シェントさん……う、腕……」

「間に合った、か……」

 

 シェントは安堵(あんど)のため息をつき、

 

「い、ってえ――!」

 

 痛みに顔をしかめてしゃがみ込んだ。

 だらんと垂れた右腕。巻いていた水色のワンピースに、赤い染みが広がっていく。ワンピースを剥ぎ取ると、腕に二つ開いた穴から血がだらだらと流れていた。

 涙に濡れた瞳をアレグロに向けられ、シェントは焦ったように顔を覗き込んだ。

 

「毒は!? 大丈夫か!? 身体が動かないんだよな、他には――」

「ぅ、……っ」

「ど、どっか痛い!?」

 

 おろおろと狼狽(うろた)えるシェントに、アレグロは微かに首を振った。痺れが残る身体では、そうすることしかできなかった。

 

(私は、シェントを見殺しにしようとしたのに)

 

 ――魔術は使えないものとして、この場は男におとなしく従う。捕まったあとでも逃げ出す機会はあるはずだ。

 アレグロの決めた覚悟。それはつまり、シェントを見捨てることだった。

 揺れる瞳から、はらはらと涙がこぼれ落ちる。

 

「ご、ごめん、怖かったよな。もっと早く……かっこよく助けられたら良かったんだけど」

 

 シェントは慌ててポケットからハンカチを取り出す。

 左手に持ってアレグロの涙を拭いていると、

 

「あなたはまず止血!」

 

 ハンカチを取り上げたカノンが、シェントの右上腕をきつく縛った。

 

「あ……ありがとう。さっきも助かった」

「守護者として、当然のことをしただけよ」

「その、『守護者』って――」

 

 シェントの問いを(さえぎ)るように、レジェールが四人のもとへ走ってきて叫ぶ。

 

(みんな)、馬車に乗って! 逃げるよ!」

「おいテメエ! 置いてくのか!? オレの馬車だぞ!!」

 

 四肢を縄で拘束された男は、カノンに体当たりを食らわせたあと、地面に芋虫のように転がっていた。

 その後方では、カルカンドの影がいくつも(うごめ)いている。群れる魔獣ではないが、人の気配に気づいて寄ってきたのだろう。

 レジェールは「手が足りないからね」と――男には聞こえないだろうが――言い捨て、アレグロを横抱きに抱え上げた。カノンもファルルの手を取って立たせ、馬車まで引っ張っていった。

 シェントは右腕を押さえながら男を一瞥(いちべつ)した。

 ――レジェールは男をカルカンドの生き餌にするつもりだ。

 たしかに、馬までやられてしまっては馬車を動かせなくなる。踵を返したシェントは馬車に駆け込んだ。

 直後、御者台に座ったレジェールが馬車を走らせる。

 

「待てよ、この人殺しがぁ!! クソ……ッ、来るな!! 来る――ごぁッ!?」

 

 喉笛を噛み切られたのか、男の断末魔は短かった。

 四人が乗り込んだ荷台で、ファルルだけが目をきつく閉じて両手で耳を塞いでいた。