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 リベラを()って五日ほど移動を続けた一行は、ラティーに最も近い宿場町に辿(たど)り着いた。

 やはり聖地を目指している巡礼者の姿が多く、

 

「同じラウダ教徒のよしみだ、乗ってけよ」

 

 いかにも武神(ラウダ)を信仰していそうな、髭面の野性的な男に声を掛けられ、小さな荷馬車に同乗した。(ほろ)が被せられた荷台は、部屋さながら服や調理器具などが散乱していた。

 一行はのんびりと――シェントを除いて――馬車に揺られていたが、悪路に差しかかったのか振動が大きくなる。「揺れやすい道を行くから」と、酔い止めの効果があるというお茶を男にもらっていたのだが――

 

「うっ、酔い止めごと吐きそ……」

「いつも大変だな、おまえも」

 

 アレグロは(あわ)れみ半分呆れ半分で言って、

 

「巡礼地なら整備された街道があるだろうに、この馬車は森の中を通っているようだが……?」

 

 幌に映る木々の影を指した。

 

「近道でしょうか? 街道は混みやすいとか」

「だとしても森は危険だろ。魔獣だけじゃなくて、野盗にも狙われやすいし」

 

 シェントが指摘した矢先、馬車の振動が止まった。

 

「案の定、か?」

「――(わり)い、男手を貸してくれ!」

 

 一度は斧槍(ハルバード)を手にしたシェントだが、外から聞こえてきた男の声にほっと胸を()で下ろす。

 ただの馬車の不調らしい。ぬかるみにはまったか、石に乗り上げたか。

 シェントは両手が使えるようにと斧槍を置き、荷台の後方へ向かう。

 

「いいです、よ――!?」

「待て!」

 

 荷台から身を乗り出すとほぼ同時、アレグロに上着を強く引っ張られる。

 

「おあっ!?」

 

 ()()るシェントの目と鼻の先を、銀光が一直線に走った。

 

(奇襲!? 違う、あの男が――!)

 

 繰り出されたナイフを間一髪で()けたものの、このまま引っ込んでも応戦できないと気づく。狭い荷台でファルルとアレグロ、二人を(かば)いながら戦うのは不利だ。

 斧槍を取りに戻る時間も惜しい。シェントは近くにあったトランクを引っ(つか)み、胸の前に掲げた。

 続けざまにナイフを突き出してきた男を、馬車から飛び降りる勢いで押し返す。トランクにナイフが突き刺さった。

 

「クソッ!」

 

 男はナイフに拘泥(こうでい)せず、後ずさってシェントと距離を取った。

 シェントも体勢を立て直すべく、見た目より軽いトランクを放り捨てる。

 落下の衝撃で(ひら)いたトランクから(あふ)れ出したのは、どう見ても女物の衣服(ワンピース)だった。過去にも似た手口で巡礼者を(だま)し、身ぐるみを()いだというのか。

 シェントの視線を辿り、男が一人で喋る。

 

「似合ってねえから、もったいなくってよお。服は引っ()がして、女だけ先に売っちまったわ」

「……外道が」

 

 シェントが腰の後ろのナイフに手を掛ける。

 静かな怒りを覚えた彼の耳朶(じだ)を打ったのは、ファルルの悲鳴じみた声だった。

 

「アレグロさん!!」

 

 ファルルは転がり落ちるように荷台を降りた。

 シェントを追って外に出たアレグロが、馬車のすぐ(そば)に座り込んでいる。

 

「――ッ、どうした!?」

 

 シェントが後ろを振り返った隙に、

 

「よそ見してんじゃねーぞ!」

 

 男は体勢を低くして彼の脚に飛びかかった。

 背中から倒れ込んだシェントに馬乗りになり、その端正な顔に拳を振り下ろす。

 

「がっ!」

 

 シェントはとっさに顔を(そむ)けたが、頬に衝撃と鈍痛が走った。口内に広がった血を(つば)と共に吐き出した。

 ――この位置で一方的に殴られるのはまずい。

 両腕を曲げて顔の前に突き出すも、それを()(くぐ)った男の両手が首を掴んできた。

 

「か――っ!?」

「どうしてテメエは動けるかなあ、あの二人には効いてんのによお。男は量をケチったらだめだな」

「ま、さか……」

「酔い止めなんか持ってるわけねえだろ、毒だ毒。ま、死ぬような強さじゃねえから安心しろ。テメエは俺が殺すけど、な!」

「ぐ、――ッ!」

 

 首を絞めてくる男の両手に力がこもる。

 その太い手首を反射的に掴むシェントだが、当然ながら男の力は緩まない。旅に出る前に習得したはずの護身術は、義憤と焦燥のせいか思い出せずにいた。

 男は苦痛と屈辱に(ゆが)む彼の顔を見ながら、刃物で殺さなくて正解だったとほくそ笑んだ。この少年も髪だけなら売り物になるかもしれない。せっかくの銀髪を血で汚したら面倒だ。

 

「女のほうは心配すんな、高く売ってやるからよ。さっきの服でも着せてやろうか? 二人とも素材がいいからなあ!」

「……は」

 

 シェントの頭の中で何かが切れた。

 

 手首を掴む力が弱まり、男はシェントの意識が落ちたことを確信した。

 次の瞬間。

 

「おっ!?」

 

 男の右足にシェントの左足が巻きつき、もつれるようにして身体が反転する。

 一瞬で仰向(あおむ)けになった男の顔面に、シェントの痛烈な一打が叩き込まれた。

 

「ぶふっ!!」

 

 鼻を押さえて悶絶する男を、立ち上がったシェントは濁った瞳で見下ろしていたが――(ひざ)を折って激しく咳き込んだ。

 

「ッぐ、げほ!! ごほッ……! ぅ、げぇぇ――……ッ」

 

 酸欠のせいか意識が拡散していく。今になって毒が効いてきたのか、身体の自由が利かない。

 死にかけた恐怖とも異なる、わけのわからない不安が押し寄せてきて、シェントは吐き気を(こら)えられなかった。

 

「このガキが!!」

 

 激高した男はトランクに刺さるナイフを引き抜いた。

 なおもシェントは地に手足をついたまま(うつむ)いている。

 何か策を隠しているのか。一応は警戒する男だが、自分の手元には刃物がある。

 ――もはや少年(ガキ)の髪など血で汚れようがどうでもいい。女どもに恐怖心を植えつけるためにも、(むご)たらしく殺してやる。

 馬車の前で身を寄せ合う二人を、男はナイフで指した。

 

「おい、見とけよ! オレに逆らおうとすると、どうなるか」

「ひっ――」

 

 三人の中で唯一動けるファルルが身を固くした。毒による暗殺を防ぐため、服毒することで身体を慣らしてきた王子(アルト)だが、()き出しの殺意を前に()(すべ)もなく震えていた。

 腰を抜かしたファルルの隣で、アレグロは(うずくま)ったまま思考を巡らせる。毒のせいで全身は痺れているが、頭はまだはっきりしていた。

 

(魔術を使えば、この場は助かるかもしれない。でも――)

 

 数日前の悪夢が脳裏をよぎる。正体を明かせば、敵と見なされてシェントと戦闘になるのではないか。

 それに、『あの日』に初めて自分の魔術を目にしたきり、一度も使っていないのだ。無意識に発動したそれを、意図して操れるのかもわからない。

 覚悟を決めたアレグロはきつく目を閉じた。