21
リベラを発って五日ほど移動を続けた一行は、ラティーに最も近い宿場町に辿り着いた。
やはり聖地を目指している巡礼者の姿が多く、
「同じラウダ教徒のよしみだ、乗ってけよ」
いかにも武神を信仰していそうな、髭面の野性的な男に声を掛けられ、小さな荷馬車に同乗した。幌が被せられた荷台は、部屋さながら服や調理器具などが散乱していた。
一行はのんびりと――シェントを除いて――馬車に揺られていたが、悪路に差しかかったのか振動が大きくなる。「揺れやすい道を行くから」と、酔い止めの効果があるというお茶を男にもらっていたのだが――
「うっ、酔い止めごと吐きそ……」
「いつも大変だな、おまえも」
アレグロは憐れみ半分呆れ半分で言って、
「巡礼地なら整備された街道があるだろうに、この馬車は森の中を通っているようだが……?」
幌に映る木々の影を指した。
「近道でしょうか? 街道は混みやすいとか」
「だとしても森は危険だろ。魔獣だけじゃなくて、野盗にも狙われやすいし」
シェントが指摘した矢先、馬車の振動が止まった。
「案の定、か?」
「――悪い、男手を貸してくれ!」
一度は斧槍を手にしたシェントだが、外から聞こえてきた男の声にほっと胸を撫で下ろす。
ただの馬車の不調らしい。ぬかるみにはまったか、石に乗り上げたか。
シェントは両手が使えるようにと斧槍を置き、荷台の後方へ向かう。
「いいです、よ――!?」
「待て!」
荷台から身を乗り出すとほぼ同時、アレグロに上着を強く引っ張られる。
「おあっ!?」
仰け反るシェントの目と鼻の先を、銀光が一直線に走った。
(奇襲!? 違う、あの男が――!)
繰り出されたナイフを間一髪で避けたものの、このまま引っ込んでも応戦できないと気づく。狭い荷台でファルルとアレグロ、二人を庇いながら戦うのは不利だ。
斧槍を取りに戻る時間も惜しい。シェントは近くにあったトランクを引っ掴み、胸の前に掲げた。
続けざまにナイフを突き出してきた男を、馬車から飛び降りる勢いで押し返す。トランクにナイフが突き刺さった。
「クソッ!」
男はナイフに拘泥せず、後ずさってシェントと距離を取った。
シェントも体勢を立て直すべく、見た目より軽いトランクを放り捨てる。
落下の衝撃で開いたトランクから溢れ出したのは、どう見ても女物の衣服だった。過去にも似た手口で巡礼者を騙し、身ぐるみを剥いだというのか。
シェントの視線を辿り、男が一人で喋る。
「似合ってねえから、もったいなくってよお。服は引っ剥がして、女だけ先に売っちまったわ」
「……外道が」
シェントが腰の後ろのナイフに手を掛ける。
静かな怒りを覚えた彼の耳朶を打ったのは、ファルルの悲鳴じみた声だった。
「アレグロさん!!」
ファルルは転がり落ちるように荷台を降りた。
シェントを追って外に出たアレグロが、馬車のすぐ傍に座り込んでいる。
「――ッ、どうした!?」
シェントが後ろを振り返った隙に、
「よそ見してんじゃねーぞ!」
男は体勢を低くして彼の脚に飛びかかった。
背中から倒れ込んだシェントに馬乗りになり、その端正な顔に拳を振り下ろす。
「がっ!」
シェントはとっさに顔を背けたが、頬に衝撃と鈍痛が走った。口内に広がった血を唾と共に吐き出した。
――この位置で一方的に殴られるのはまずい。
両腕を曲げて顔の前に突き出すも、それを掻い潜った男の両手が首を掴んできた。
「か――っ!?」
「どうしてテメエは動けるかなあ、あの二人には効いてんのによお。男は量をケチったらだめだな」
「ま、さか……」
「酔い止めなんか持ってるわけねえだろ、毒だ毒。ま、死ぬような強さじゃねえから安心しろ。テメエは俺が殺すけど、な!」
「ぐ、――ッ!」
首を絞めてくる男の両手に力がこもる。
その太い手首を反射的に掴むシェントだが、当然ながら男の力は緩まない。旅に出る前に習得したはずの護身術は、義憤と焦燥のせいか思い出せずにいた。
男は苦痛と屈辱に歪む彼の顔を見ながら、刃物で殺さなくて正解だったとほくそ笑んだ。この少年も髪だけなら売り物になるかもしれない。せっかくの銀髪を血で汚したら面倒だ。
「女のほうは心配すんな、高く売ってやるからよ。さっきの服でも着せてやろうか? 二人とも素材がいいからなあ!」
「……は」
シェントの頭の中で何かが切れた。
手首を掴む力が弱まり、男はシェントの意識が落ちたことを確信した。
次の瞬間。
「おっ!?」
男の右足にシェントの左足が巻きつき、もつれるようにして身体が反転する。
一瞬で仰向けになった男の顔面に、シェントの痛烈な一打が叩き込まれた。
「ぶふっ!!」
鼻を押さえて悶絶する男を、立ち上がったシェントは濁った瞳で見下ろしていたが――膝を折って激しく咳き込んだ。
「ッぐ、げほ!! ごほッ……! ぅ、げぇぇ――……ッ」
酸欠のせいか意識が拡散していく。今になって毒が効いてきたのか、身体の自由が利かない。
死にかけた恐怖とも異なる、わけのわからない不安が押し寄せてきて、シェントは吐き気を堪えられなかった。
「このガキが!!」
激高した男はトランクに刺さるナイフを引き抜いた。
なおもシェントは地に手足をついたまま俯いている。
何か策を隠しているのか。一応は警戒する男だが、自分の手元には刃物がある。
――もはや少年の髪など血で汚れようがどうでもいい。女どもに恐怖心を植えつけるためにも、惨たらしく殺してやる。
馬車の前で身を寄せ合う二人を、男はナイフで指した。
「おい、見とけよ! オレに逆らおうとすると、どうなるか」
「ひっ――」
三人の中で唯一動けるファルルが身を固くした。毒による暗殺を防ぐため、服毒することで身体を慣らしてきた王子だが、剥き出しの殺意を前に為す術もなく震えていた。
腰を抜かしたファルルの隣で、アレグロは蹲ったまま思考を巡らせる。毒のせいで全身は痺れているが、頭はまだはっきりしていた。
(魔術を使えば、この場は助かるかもしれない。でも――)
数日前の悪夢が脳裏をよぎる。正体を明かせば、敵と見なされてシェントと戦闘になるのではないか。
それに、『あの日』に初めて自分の魔術を目にしたきり、一度も使っていないのだ。無意識に発動したそれを、意図して操れるのかもわからない。
覚悟を決めたアレグロはきつく目を閉じた。
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