20
「……た、ぶん」
「たぶん、って、どういう――」
言い当てられたアレグロは、俯いたまま考えを巡らせていた。
(私は、どこまで本当のことを話せるんだろう……)
〈コード〉は魔族に殺されたという噂もある。それならば、一人生き残った自分は? 〈コード〉を殺した張本人、つまりは魔族だと勘ぐられてもおかしくない。
アレグロは顔を上げ、挑むような目をシェントに向けた。
「私、半年前までの記憶がないの」
「――え?」
シェントの口から呆けた声が漏れる。
「記憶が、ない……?」
「いわゆる記憶喪失というやつだ」
アレグロは躊躇いを捨てて言い切った。
小さな嘘を重ねて矛盾が生じるくらいなら、大きな嘘を一つつけばいい。記憶がないと話してしまえば、深く追及されることもあるまい。
現に、半年前の『あの日』に関しては記憶も曖昧だった。何度も夢に見たため、現実との判別が付きづらくなっていた。
「記憶喪失になったのは、何か原因が――あったとしても覚えちゃいないのか」
シェントは目の焦点を虚空に結びながら、譫言のように呟いた。
無言でうなずいたアレグロは、アンクレットを付けるため徐にしゃがみ込む。
「覚えていない。名前も、生まれも」
嘘といっても、すべてが作り話というわけでもない。
事実、アレグロは幼少期のことを何一つ覚えていなかった。名前ですら〈コード〉の仲間から与えてもらったのだ。アレグロと名乗るようになったのは、彼らと離別した『あの日』からだった。
「これを付けていたということは、私は〈コード〉の一員だったのだと思う。武闘大会に参加したのも、その〈コード〉を探すためだ」
アンクレットを付け終えたアレグロが、すくと立ち上がる。
その凛とした立ち姿がかえって痛々しくて、シェントはそっと目を伏せた。同時に、今なお弱さを隠そうとする彼女に、苛立ちを感じてしまった。
――この、他人を遠ざけるような喋り方だって。
所詮は共に雇われたから仲間になっただけ。そのことを改めて思い知らされ、八つ当たりのようにシェントの口調がきつくなる。
「どうして……なんで言ってくれなかったんだよ。俺たちに打ち明けてくれてもよかったじゃないか」
「おまえたちに伝えたところで、解決できる問題でもないだろう? 記憶喪失なんて」
「……っ、たしかに俺は医者でも呪い師でもないからな。記憶を思い出させることはできないだろうよ。だけど――」
アレグロの話が嘘だと知る由もないシェントは、彼女の記憶喪失について考えを巡らせていた。
記憶を失った原因すら忘れているようだが、心を守るために記憶を封じた可能性もある。それによって辛い出来事を「なかったこと」にしたのであれば、無理に思い出さないほうがいいのではないか。
今の彼女にとって、一番の問題は――
「自分のこともわからないのに、アレグロは一人で旅をしてたんだろ?」
自分も、周りも、誰も昔の彼女のことを知らない。自分が何者なのか疑ったときに縋れる存在もないのだ。
「……んなこと、耐えられねえよ」
「……」
アレグロは押し黙った。彼は嘘を信じるだけでなく、自分のことを親身になって考えてくれている。
鉛のような罪悪感を心の奥底に沈め、アレグロは無表情を繕った。
「べつに、何とも思っていなかったが」
「俺が耐えられないんだよ!」
アレグロは目を見開き、すぐに眉をひそめる。
「シェントには関係な――」
「だから! アレグロがずっと独りだったんだと思うと!」
語気を強めたシェントは、我に返ったようにハッと息を飲み、アレグロから顔を背けた。
「……ごめん。その……俺も寂しかったからさ、一人で旅してたとき。アレグロは俺より、もっと心細かっただろうなと考えちゃって……」
淡々と語るシェントの横顔は沈鬱だった。
アレグロは彼と同じように壁のほうを向き、そこに映る二つの人影を見た。シェントも同じく孤独だったのだと、今さらながら理解した。
彼が見せる優しさは、独りぼっち同士、助け合おうとする心の表れなのだろうか。
(私はシェントのこと、騙して利用しているも同然なのに……)
あの日、無意識に使った〈闇〉の魔術を目にして初めて、アレグロは自身の正体を知った。
魔族と対面した覚えもないのだから、帰属意識もない。それでも、〈魔界大戦〉の言い伝えを知る以上、人と深く関わらないことに決めた。
家族同然だった仲間を失い、アレグロの日々は空虚になった。毎夜、棒手裏剣を喉に突き刺しそうになった。自分を庇って殺された彼らを、裏切ることになるというのに。
だからアレグロは、他人の前では自害しないだろうと考え、シェントと共にアルトの護衛を引き受けた。
「――本当に悪かった。言い過ぎたことも、アンクレットを渡しそびれていたことも」
「シェントは何も悪くない……っ!」
彼の真摯な態度が、かえってアレグロを責め立てる。思わず声を張り上げてしまい、アレグロは唇を噛んで俯いた。
「で、も……私が〈コード〉にいた――かもしれないことは、誰にも言わないでほしい」
「……わかった。二人だけの秘密ってやつ?」
冗談めかしたように笑うシェントに、アレグロは痛む胸の内で詫びた。
――魔族であることを隠すため、記憶がないと嘘をついたことを。
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