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「……た、ぶん」

「たぶん、って、どういう――」

 

 言い当てられたアレグロは、(うつむ)いたまま考えを巡らせていた。

 

(私は、どこまで本当のことを話せるんだろう……)

 

 〈コード〉は魔族に殺されたという噂もある。それならば、一人生き残った自分は? 〈コード〉を殺した張本人、つまりは魔族だと勘ぐられてもおかしくない。

 アレグロは顔を上げ、挑むような目をシェントに向けた。

 

「私、半年前までの記憶がないの」

「――え?」

 

 シェントの口から(ほう)けた声が漏れる。

 

「記憶が、ない……?」

「いわゆる記憶喪失というやつだ」

 

 アレグロは躊躇(ためら)いを捨てて言い切った。

 小さな嘘を重ねて矛盾が生じるくらいなら、大きな嘘を一つつけばいい。記憶がないと話してしまえば、深く追及されることもあるまい。

 現に、半年前の『あの日』に関しては記憶も曖昧だった。何度も夢に見たため、現実との判別が付きづらくなっていた。

 

「記憶喪失になったのは、何か原因が――あったとしても覚えちゃいないのか」

 

 シェントは目の焦点を虚空に結びながら、譫言(うわごと)のように呟いた。

 無言でうなずいたアレグロは、アンクレットを付けるため(おもむろ)にしゃがみ込む。

 

「覚えていない。名前も、生まれも」

 

 嘘といっても、すべてが作り話というわけでもない。

 事実、アレグロは幼少期のことを何一つ覚えていなかった。名前ですら〈コード〉の仲間から与えてもらったのだ。アレグロと名乗るようになったのは、彼らと離別した『あの日』からだった。

 

「これを付けていたということは、私は〈コード〉の一員だったのだと思う。武闘大会に参加したのも、その〈コード〉を探すためだ」

 

 アンクレットを付け終えたアレグロが、すくと立ち上がる。

 その凛とした立ち姿がかえって痛々しくて、シェントはそっと目を伏せた。同時に、今なお弱さを隠そうとする彼女に、苛立(いらだ)ちを感じてしまった。

 

 ――この、他人(ひと)を遠ざけるような喋り方だって。

 

 所詮(しょせん)は共に雇われたから仲間(パーティー)になっただけ。そのことを改めて思い知らされ、八つ当たりのようにシェントの口調がきつくなる。

 

「どうして……なんで言ってくれなかったんだよ。俺たちに打ち明けてくれてもよかったじゃないか」

「おまえたちに伝えたところで、解決できる問題でもないだろう? 記憶喪失なんて」

「……っ、たしかに俺は医者でも(まじな)い師でもないからな。記憶を思い出させることはできないだろうよ。だけど――」

 

 アレグロの話が嘘だと知る(よし)もないシェントは、彼女の記憶喪失について考えを巡らせていた。

 記憶を失った原因すら忘れているようだが、心を守るために記憶を封じた可能性もある。それによって辛い出来事を「なかったこと」にしたのであれば、無理に思い出さないほうがいいのではないか。

 今の彼女にとって、一番の問題は――

 

「自分のこともわからないのに、アレグロは一人で旅をしてたんだろ?」

 

 自分も、周りも、誰も昔の彼女のことを知らない。自分が何者なのか疑ったときに(すが)れる存在もないのだ。

 

「……んなこと、耐えられねえよ」

「……」

 

 アレグロは押し黙った。彼は嘘を信じるだけでなく、自分のことを親身になって考えてくれている。

 鉛のような罪悪感を心の奥底に沈め、アレグロは無表情を(つくろ)った。

 

「べつに、何とも思っていなかったが」

「俺が耐えられないんだよ!」

 

 アレグロは目を見開き、すぐに眉をひそめる。

 

「シェントには関係な――」

「だから! アレグロがずっと独りだったんだと思うと!」

 

 語気を強めたシェントは、我に返ったようにハッと息を飲み、アレグロから顔を(そむ)けた。

 

「……ごめん。その……俺も寂しかったからさ、一人で旅してたとき。アレグロは俺より、もっと心細かっただろうなと考えちゃって……」

 

 淡々と語るシェントの横顔は沈鬱だった。

 アレグロは彼と同じように壁のほうを向き、そこに映る二つの人影を見た。シェントも同じく孤独だったのだと、今さらながら理解した。

 彼が見せる優しさは、独りぼっち同士、助け合おうとする心の表れなのだろうか。

 

(私はシェントのこと、(だま)して利用しているも同然なのに……)

 

 あの日、無意識に使った〈闇〉の魔術を目にして初めて、アレグロは自身の正体を知った。

 魔族と対面した覚えもないのだから、帰属意識もない。それでも、〈魔界大戦〉の言い伝えを知る以上、人と深く関わらないことに決めた。

 家族同然だった仲間を失い、アレグロの日々は空虚になった。毎夜、棒手裏剣(スローイングナイフ)を喉に突き刺しそうになった。自分を(かば)って殺された彼らを、裏切ることになるというのに。

 だからアレグロは、他人(たにん)の前では自害しないだろうと考え、シェントと共にアルトの護衛を引き受けた。

 

「――本当に悪かった。言い過ぎたことも、アンクレットを渡しそびれていたことも」

「シェントは何も悪くない……っ!」

 

 彼の真摯(しんし)な態度が、かえってアレグロを責め立てる。思わず声を張り上げてしまい、アレグロは唇を噛んで俯いた。

 

「で、も……私が〈コード〉にいた――かもしれないことは、誰にも言わないでほしい」

「……わかった。二人だけの秘密ってやつ?」

 

 冗談めかしたように笑うシェントに、アレグロは痛む胸の内で()びた。

 ――魔族であることを隠すため、記憶がないと嘘をついたことを。