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「なんだアイツは? 迷子かぁ?」
観戦席の一角から野卑な声が上がり、周囲は嘲笑に包まれた。
彼らの視線の集まるところ。闘技場の中心では、優勝候補の一人と謳われる禿頭の兵士が、半ば呆けたように突っ立っている。
その向かいに佇むのは――この場には似つかわしくない、小柄な少女だった。緋色の長い髪が、猛火のように風になびいている。
観戦席の後方で立ち見していたシェントは、兵士の姿を認めると、
「うーん……相手が彼女だってわかってたら賭けてたのに」
頭を掻きながら一人ぼやいた。
♪ ♪ ♪
話は数時間前に遡る。
昨日王都に入ったばかりのシェントは、闘技場に最も近い酒場〈ヴァンとソー〉に来ていた。
初代店主と愛猫の名を冠するここは、ルーエ市民にとって馴染みの場所であるらしい。仕事を終えたあと、夕日に照らされながら酒を飲み交わす。そのために働いているようなものだ、と相席の男はしみじみ語った。
しかし今はまだ昼前だというのに、広い店内はほぼ満席だった。さらには旅人や魔獣狩人らしき姿も目につく。
国内各地から物が集まってくる反面、これといった特産物も観光名所もないルーエでは珍しい光景のようで、
「こんなときしか盛り上がんねえからなあ。五年に一度の祭りさ」
相席の男は顎髭を撫でながらそう言った。
特にめぼしいものもないルーエの、国外にまで知られる唯一の祭事。「五年に一度の祭り」とまで言われるそれは、チェルティーノ大陸で最大の規模を誇る「武闘大会」である。
およそ一か月に渡って開催され、グラツィオーソ王国軍の兵士を筆頭に、傭兵や魔獣狩人などの猛者が各地から集まってくる。
「で、兄ちゃんは参加するのか?」
ビールを飲み干した顎髭に尋ねられ、シェントは首を横に振った。
「俺は科術があってもなくても、中途半端だから。祭りの見物に来ただけですよ」
「んん? もしや科術使いか、珍しいな! そもそも剣士じゃなけりゃ厳しいか、この大会は」
顎髭の男はシェントの後方、壁に立てかけてある長物を――若草色の布に包まれたシェントの得物を顎で指した。城壁の外ではむき身のまま背負っているが、居住区では人を畏縮させないように布で隠しているのだ。
武神ラウダの神話にちなみ、科術に頼らず武術の腕だけで戦うこと。それが武闘大会の趣旨である。
百年ほど前までは、参加者は自前の武器を使用していたという。当然ながら死人が出ることも少なくなかったため、後に人道的な配慮から模擬剣に統一されたのである。科術使いや科術士だけでなく、剣以外を得物としている者には不利な条件であり、大会の出場者は自然と限られるようになった。
顎髭の隣で狭苦しそうに座る眼鏡の男が、「そういえば」と口を開く。
「今日の第二試合が、バッソの初戦でしたかな」
「そうか、今日だったな! どうだ、兄ちゃん。賭けてみねえか」
顎髭が身を前に乗り出す。
武闘大会に関する賭博行為は禁止されているはずだが、闘技場に近い酒場で賭けが持ち出されるくらいだ。個人間の賭博は黙認されているのだろう。
「誰なんです? その、バッソっていうのは」
「おいおい、優勝候補の一人だぞ? ま、うちの国の兵士だから、よその者が知らんのも無理ねえか」
顎髭は大げさに肩をすくめたが、親切にもバッソという名の彼について話し始めた。賭けるつもりなど端からなく、一種の冗談だったのかもしれない。バッソとはそれほど有名な男なのだろう。
「前回の大会では準々決勝で敗れちまったがな。あんときゃ相手が悪かったんだよ、相手が。なにせ、あの〈コード〉の――」
「〈コード〉……」
その名はさすがのシェントも聞き及んでいた。
同業者からも一目置かれる旅集団〈コード〉。
チェルティーノ大陸中を気ままに渡り歩いている彼らは、資金調達のために魔獣の討伐や隊商の護衛といった仕事を請け負っていた。その腕には自信があったらしく、他の冒険者が割に合わないからといって断るような依頼でも、二つ返事で引き受けていたという。
「ここ最近はあまり聞かねえなあ、〈コード〉のこと。解散したのか、魔獣にやられちまったのか」
「魔族に殺されたという噂もありますな」と、眼鏡の男が口を挟む。
「オマエ、魔族なんて信じてるクチだったのかあ?」
「……」
相づちも打たず口を閉ざしていたシェントは、ことさらに大きな声で次の質問を投げかける。
「それじゃ、今回の初戦の相手は? その、バッソてやつの」
「さあ、今までに聞いたことないヤツだったな。名前は忘れちまった!」
酔いが回ってきているのか、顎髭は豪快に笑った。
(これじゃあ賭けにならない、か)
相変わらず貧乏なままのシェントは不服そうに彼を横目で見た。
ルーエに入る直前に近辺の森で狩った魔獣も、期待していたほどの値にはならなかったのだ。
(まあ、昨日のあれは俺が倒したんじゃないけど)
そっと喉に触れると、昨日のことが鮮烈に思い起こされた。
少女を魔獣から助けようとしたにもかかわらず、追い剥ぎと勘違いされ、あげく殺られそうになったのだ。
誤解は解けても警戒心までは解けなかったようで、彼女はシェントの前から早々に立ち去っていった。真に敵と認識したのであれば、背中を見せることもなかったと思うが。
(夢じゃ、なかったよな……?)
蛍苔の青白い光に囲まれた少女の、小さな背で揺れる緋色の髪は、澄んだ水の中で燃える炎のようだった。現実にはあり得ないからこそ、あの光景が幻想的に感じられたのだ。彼女との出会いも含め、すべて白昼夢だったのではないかと不安になるほどに。
だから緋色の髪の少女が酒場に入ってきても、すぐには反応できなかった。
――自分は夢の続きでも見ているのではないか。
「あっ!?」
それが幻ではないとわかると、シェントは勢いよく立ちあがった。何事かと驚く男たちには目もくれず、テーブルに手を付いて身を乗り出す。
(間違いない、昨日の……!)
シェントは慌てて若草色の包みを抱え、
「じゃ、俺はこれで!」
ちょいと片手を上げると、さっさとテーブルを後にした。
二人は唖然とした表情でその背中を見送り――ややあって、眼鏡の男が残された空のグラスに目を落とした。
「……勘定」
「なあに、それくらい奢ってやるさ。オマエと割り勘だしな!」
顎髭の男はどこか満足気な笑みを浮かべると、通りかかった給仕に、またも二人分の酒を注文した。
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