19

 

 鈍い音がしたと同時に衝撃が全身を駆け抜けて、夢の底にいたアレグロの意識が浮上した。

 

「いった……」

 

 手をついて身体を起こすと、そこはベッドではなく床の上だった。どうやら夢を見ていてベッドから落ちたらしい。

 夜の闇に沈んだ室内は夢の中よりも不明瞭で、寄る辺なさにアレグロは身震いした。

 

(こわい……だれ、か……)

 

 力が抜けて立ち上がることもできず、()って壁際まで近づいていく。隣室の二人を叩き起こそうと壁に拳を当てたものの、思いとどまって力なく手をおろした。

 アレグロは自らの身体を()(いだ)き、すべて忘れようとぎゅっと目を閉じる。惨澹(さんたん)たる夢も、暗澹(あんたん)たる闇も。

 そのとき。

 

「大丈夫か!?」

 

 扉を叩く音が聞こえ、アレグロは弾かれたように立ち上がった。声のするほうへふらふらと駆けていき、懸命に腕を伸ばす。

 

「アレグ――ぅおっ!?」

 

 扉を開け放ったアレグロは、その先に立っていたシェントの胸に飛び込んだ。

 

「ど、どうした? 何か大きな音が聞こえたんだけど……」

「夢を――」

 

 その夢で斧槍(ハルバード)を突きつけられたことを思い出し、(やま)しさを覚えて口を(つぐ)む。こんなにも親切にしてくれる彼のことを、しかし信用していないから夢に見たのではないか。

 ――信じられるはずがない。自分も彼を(あざむ)いているのだから。

 

「なんでもない。起こして、ごめんなさい。もう大丈夫だから」

 

 シェントの顔を直視できそうにないアレグロは、彼の胸に頭を預けたまま、適当に言葉を連ねた。

 

「……大丈夫そうには思えないけど」

 

 強がりながらも微かに震えているその背中に、シェントは遠慮がちに手を回す。少し屈み込み、アレグロの頭の横で優しく問いかける。

 

「怖い夢でも見た?」

「ん……っ」

 

 うん、と首肯した――ような声を出した――アレグロが、さらに強くしがみついてくる。こうして密着していると伝わってくる鼓動も、相変わらず速いままで。

 

「落ち着くまで、一緒にいようか?」

「……」

 

 それには答えず、アレグロはシェントの腕からするりと抜け出すと、一人で自室に戻った。

 廊下に残されたシェントは、開いたままの扉をしばらく凝視していたが、

 

「……入って、いいのかな」

 

 アレグロの部屋にそろりと足を踏み入れた。

 

「光石、ベッドの近くだろ? 借りるよ」

 

 暗闇に目を凝らしながら、ベッドのほうへ()り足で近づいていく。

 光石を手に取って振り返ろうとすると、

 

「待って……だ、だめっ!」

 

 アレグロに後ろから強く抱きしめられた。

 

「え……っ、あ、アレグロ?」

「……下、ズボン穿()いてないから」

「…………え?」

「う、上は、シャツ着てるけど」

「…………」

 

 状況を飲み込めず静止するシェント。

 否、理解したからこそ、無理矢理に思考を停止させた。

 部屋を飛び出してきたアレグロに抱きつかれ、内心ずっと落ち着かなかったせいで、その姿をまじまじと見ていなかったのだ。

 つまり今の彼女は、下着の上にシャツを一枚着ているだけで。

 

(だから考えるなって! 想像しようにも何色かわからねえし!? …………アレグロの好きな色ってなんだろ)

「光石点けるの、着替えてからにして……」

「はっ、はい!? ごめん! ほんとごめん!!」

 

 間接キスには気づかなかった彼女でも、きわどい格好(かっこう)を無防備に見せるほど、疎くはないようだ。

 アレグロにも女の子としての恥じらいがあったことに、シェントは少し胸を()で下ろした。

 ――まあ、思春期の男相手に、その格好でくっつかないでほしかったのだが。

 

(今夜もまた眠れないんだろうな……)

 

 諦めの境地に達したシェントの心境など露知らず。彼に扉のほうを向くように頼むと、アレグロは暗がりの中、椅子の背もたれにかけたズボンを探り当てた。

 しん、と静まり返った部屋に衣擦れの音だけが響く。

 

「はぁ――……」

 

 深いため息をついたシェントは、心を落ち着かせるためかポケットに手を突っ込んだ。

 その指先に薄い金属の板が触れた。

 

(――しまった)

 

 シェントの背中を冷たい汗が伝う。

 拾ったアンクレットのことをすっかり忘れていたのだ。

 

「光石、お願い」

「お、おう。――リュイザン・エラ」

 

 光石の暖かな光が、闇を部屋の四隅へ追いやる。シェントはアレグロを通り過ぎて机上に光石を置いた。

 そして彼女を振り返ると、(てのひら)に乗せたアンクレットをしずしずと差し出した。

 

「これ、もしかしてアレグロのじゃ――」

 

 言い終わらないうちに忽然(こつぜん)と消えるアンクレット。

 取り返したそれを守るように身を(かが)めたアレグロが、突き刺すような視線を送る。

 

「どうして……どこで、これを?」

 

 返答次第では飛びかかってくるのではないか。気迫に押され、シェントは一歩後ずさった。

 

「昨日拾ったんだ、忘れててごめん!!」

「……そう。気づかなかった、外れていたこと」

 

 アレグロは足先に目を落とし、それきり口を閉ざした。アンクレットを付け直す素振りもない。

 

「あの、さ。その刻印(マーク)見て思ったんだけど」

 

 シェントは本題に入ろうと、彼女の小さな握りこぶしを指す。

 

「アレグロって、もしかして〈コード〉にいた?」

 

 アレグロの肩がぴくりと跳ね上がった。まるで悪戯(いたずら)が見つかった子どものように。