18
斧を手にした人影がそこまで迫ってきているのに、私は地面にへたり込んで呆然としていた。
――逃げないと、殺される。
早く早くと急かしても、指先すらぴくりとも動かない。
視界に飛び込んできたのは、見慣れた後ろ姿。背中で踊る金色の髪。
振り下ろされた鈍色の斧。
――ほら、また殺された。
私は彼女の最期を覚えていない。
そのせいかもしれない。この世界でリーダーは、剣で心臓を一突きにされることもあれば、鍬で頭を叩き割られることもあった。
ここは、薄れてしまった記憶をもとに構築された世界――夢の中だ。
『アレグロ、逃げな』
背中から仰向けに倒れたリーダーが唇を震わせた。額が割れているのに血は全然出ていない。
夢だから整合性がとれていないのだろうか。そんなことを頭の片隅で考えながら、私はリーダーの近くまで這っていく。
『違うよ、私はアーチェだよ……』
リーダーの声はいつもと変わらずはっきりしていたけれど、意識は朦朧としているようだった。
私がアレグロと名乗るようになったのは『あの日』からなのに、どうしてその名で呼んだのだろう。
『ね、リーダーも一緒に逃げよう?』
リーダーは地面に寝転がったまま首を横に振った。
『だったら……ルーエで待ってるから。約束したよね、武闘大会で戦ってくれるって。皆も、きっとそこに――』
グランも。
フォルテも。
そして、リーダーも。
『いないよ。もうわかってんだろ?』
リーダーが悪戯っぽい笑みを浮かべた。私はリーダーがきれいな女性だと知っていたから、額が割れていても気持ち悪いと感じなかった。
『……うん、わかってる。わかってた、けど』
かつての仲間は誰一人として武闘大会に参加していなかった。
魔物がここを襲ってきた『あの日』、私の仲間は死んだのだ。
私の目の前で。私の知らないところで。
私を庇って殺された。
仲間を殺したのは魔物ではない。彼らと同じ人間だ。
『ルーエへ行こう!』
『陛下を説得するんだ!』
『魔族を殺せ!』
『殺せ!』
遠くに聞こえていた怒号が、すぐ近くにまで迫ってきた。ここはルーエではないのに、おかしなことを叫んでいる。
――逃げないと。でも、どこへ? ここは、どこなんだっけ。
リーダーの傍に座ったまま途方に暮れる私に、誰かが斧槍を突きつけてきた。
『なあんだ。斧じゃなくて、斧槍だったのかい』
リーダーがけらけらと笑う。
私の目は斧槍に釘付けになっていた。先端で光る〈風〉の科石を見つめながら、私は疑問を口にした。
『どうしてここに? だって、これは……シェントに会う前のことなのに』
『夢だからさ』
答えたのはリーダーだった。
『騙してたんだな』
吐き捨てるような言葉に顔を上げると、シェントが冷ややかな目で私を見下ろしていた。
『そうさ、アレグロは魔族だよ』
対するリーダーは誇らしげだった。彼女も私の魔術を見たのは初めてだというのに。
『っ、熱――!?』
唐突に首の後ろが熱を帯び、私はとっさに手を当てる。
毒虫に噛まれたような疼きまであるのに、触ってみても傷や腫れは確認できなくて。
『な、に……? うっ、く……うぅ……』
灼けるような首の熱さとは対象的に、混乱と恐怖で手足の先が冷たくなっていく。理由のわからない灼熱感に苛まれ、苦鳴とも嗚咽ともつかない声が漏れる。
もうやめて、と懇願しながら。蹲って呻く自分の後ろ姿を、夢を見ている私は俯瞰していた。
『ひぐ……っ、あ、あぁぁぁ――!』
絹を裂くような叫びと共に。
首の真後ろ――何もない宙空の一点から、真っ黒な帯が次から次に、這いずるように出てくる。
まるで夜を細く切り裂いたような〈闇〉が、幾条も私の身体に絡みついたかと思うと――夢にも暗幕が降ろされた。
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