16
会話らしい会話もないまま、気づけば宿に着いていた。
アルトは部屋に入るなり鬘を外し、ベッドに腰かけた。もう一台のベッドには、シェントが仰向けに寝転がっている。
アダージョで同室だったアレグロは一人、隣の部屋を取った。互いに一息ついたら彼女をここに呼び、今後の打ち合わせをすることになっている。
「もう日暮れかあ、光石でも点けるか。いや、値上がりしてるみたいだし、もったいない気も……」
アルトに話しかけているつもりなのか、天井を仰いだままシェントがぼやく。
「それもこれも、カデンツァのせいか?」
徐に身を起こした彼に揶揄され、アルトは身構えた。
カデンツァ王国は支配圏拡大を企図して弱小国を援助しているのではないか。グラツィオーソ国内では議会を中心に、そのような声が上がっていた。
これを裏付けたのがゲネラル鉱山買収の一件である。
カデンツァは魔物に襲撃されたパルラ共和国に援軍を送り、その見返りとしてゲネラル鉱山を手に入れた。以降、光石や科石の価格は高騰の一途を辿っている。
光石店で鉱山買収の経緯を聞いたシェントが、改めてカデンツァのせいかと尋ねてきたのだ。何か話があるのだとアルトは直感した。
「通過儀礼のことだけどな、形骸化してたそうじゃないか」
案の定、シェントはそう話を切り出した。
「兵やら召使いやら、かなりの人数連れてリベラまで来てたんだって? 王子様は豪勢な馬車に乗って。それなのに、なんで今回は昔のような形式を採ったんだ?」
「……」
アルトは膝に置いた手を握りしめ、彼の問いに沈黙を返した。
シェントの指摘通り、通過儀礼はとうの昔に形だけのものとなった。
国王による試練も、リベラの職人から王笏を貰い受けることが通例となっていた。新たな成人王族を地方に披露する祝賀行進としての側面があったのだ。
とはいえ、あくまでも試練内容を決めるのは当代の国王である。過去には不出来な長男を王室から除名する狙いで、無理難題を言い渡した王もいたそうだ。
アルトは現国王テノールの長男であり、他に兄弟はいない。王位継承順位の第一位はアルト、第二位は王弟のグレースである。
(僕は、王室を追い出されたわけじゃない。でも……)
無言のまま俯いていると、痺れを切らしたのかシェントがため息を漏らした。
「闘技場の事件も、魔族の仕業じゃなくて自作自演なんだろうし」
「どうしてそれを」
アルトは思わず顔を上げた。こうも明快な反応を示しては肯定と同じだ。
「あのカルカンドは魔物じゃなくて、魔獣だったからな。森で捕まえてきたんだろ。いったい誰が何の目的で――」
「急進派、です。カデンツァへ攻撃を仕掛けるための、大義名分が欲しかったのでしょう」
――カデンツァ王国には魔族がいる。
噂がいよいよ真実味を帯びてくると、グラツィオーソの一部の人間――急進派は、カデンツァへの進軍を提言した。
当然、国王はこれを聞かなかった。魔族の実在が証明されていない以上、カデンツァに攻め入ることはできない。
その矢先に起こったのが、武闘大会での騒動である。
急進派は闘技場を襲ったカルカンドを魔物と断定。グラツィオーソが魔族の次なる標的にされていると主張し、国民の危機感を煽った。
それでもなおカデンツァへの進撃を躊躇っている国王に、国民は不信感を募らせている。これこそが急進派の狙いであった。
「カデンツァの周辺では、人や農作物が魔物に襲われる被害が相次いでいるそうです。そういった国々を支援しているカデンツァが、ゲネラル鉱山などの見返りを要求しているらしく――初めから、それを目的に魔物を送り込んでいる可能性も、ないとは言い切れません」
「魔獣じゃなくて魔物に? だから『カデンツァには魔族がいる』なんて話になるのか」
魔獣とは異なり、魔物は魔族に作られたものと言われている。
話がすべて事実であるならば、カデンツァに魔族がいる可能性は高い。魔族と協力関係にあるのか、あるいは乗っ取られているのか、詳細は不明であるが。
「ここ最近は、叔父――グレース公爵を中心とした、急進派の動きが目立っているんです。事件を自作自演して世論を味方につけ、カデンツァに軍を進めたかったのでしょう」
「魔族に侵略されるかもしれないというのに、国王は何もしないつもりか、ってことか」
「……内乱が起こるのも、時間の問題でしょうね」
アルトの通過儀礼が慣例と異なるのも、これが理由だった。
内乱を危惧したテノールが、アルトを叔母――亡き王妃の妹――がいる隣国へ亡命させるために、通過儀礼を利用したのである。
国民には、情勢を鑑みて通過儀礼を縮小したと公表すればいい。そのままアルトが王室に戻らなければ、いつぞやの王子のように追放されたのだと考えるだろう。
「そんなんで、王都に戻って大丈夫なのか? 通過儀礼ってのも、もしかしてルーエを出るために――」
「次の行き先ですが、」核心を突かれたアルトが、シェントの言葉に被せて言う。「ルーエではなくラティーに向かってもらえませんか? 護衛はそこまでで結構ですので」
「ラティーって、ラウダ教の聖地だよな? 急にどうして」
「ただ祈りたいんです、と言えば信じてくれますか? ラウダ様は、王室が信仰している神でもあるので」
武神ラウダはグラツィオーソ王国の守護神でもある。ラウダ神が降り立ったとされるラティーは、現在ではラウダ教の聖地となっていた。
「――いや、わかった」
シェントがうなずいた。アルトの言わんとすることを察したのだろう。その証拠に、彼はこう付け加えた。
「ラティーに逃れる、ってことか」
当たらずとも遠からず。アルトは曖昧な微苦笑を浮かべた。
聖地ラティーには巡礼者だけでなく、彼らの護衛として雇われる冒険者も多いと聞く。シェントたちに身分を明かしてしまったアルトは、ラティーで護衛を雇いなおすことを決めた。
――一国の王子が、王都どころか国まで出て身を隠すと知ったら、軽蔑するに違いない。
アルトはシェントから目を逸らし、鼻をすすりながら話題を変えた。
「アレグロさん、遅いですね。呼んできてもらえませんか?」
「そのうち来るとは思うけど……ああ、うん。呼んでくるから、しばらく待ってて」
泣いていることを察したのだろう。シェントはしばし戻らないようなことを言い置いて、部屋を出ていった。
「僕だって、国を出たいわけじゃない」
アルトはベッドの上で膝を抱え、弁解するように呟いた。
カデンツァと争う姿勢の急進派にも、さまざまな人間がいる。
世界共通の敵である魔族を打ち倒し、英雄として名を刻みたい者。魔族の実在を疑っておきながら、これを機に国の勢力拡大を画策する者。
彼らは自国だけでなく、世界の変革まで目論んでいるのだろう。
アルトはというと、これまでの平穏が変わらず続くものだと、ほんの数日前まで無邪気に信じていた。
「僕は、何も変わってほしくなかったのに……」
二人が戻ってくるまで光石も灯さず、アルトは揃えた膝の間に顔を埋めていた。
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