15
科石や光石が卸されるリベラは、鍛冶屋だけでなく当然ながら光石店も多い。二人を連れたアレグロは、希少な光石が売れ残っていることを期待して、あえて評判の良くない店を訪れた。店主の愛想が悪かろうが光石の質に変わりはない。
塗装の剥がれかかった扉を押し開けると、カウンターの老人が新聞を広げたまま挨拶を寄越してきた。
「これと同じものを頼む」
アレグロは手持ちの光石を二つ老人に差し出した。
老人はようやく新聞を畳み、石を手に取って眺めた。
「屋外の白と、室内の橙か。室内のはどこで使う?」
「宿だ」
「じゃったら、白の二十と橙の五十かの。期限は半年のでいいんじゃろ?」
老人は背面の升目状の引き出しから光石を取り出しカウンターに置いた。一つは白色、もう一つは琥珀色をしている。続けて彼は紙に数字を書き始めた。
「白が一万二千ノーツ、橙は四千八百ノーツじゃのう。他には?」
「白の壱」
ペンを走らせていた老人の手が止まった。
「……すまんが、入荷が少なくての」
「いくらなら売る?」
彼の言葉に被せるようにアレグロが問うた。
「何なんでしょう、『白の壱』って」
「俺も初めて聞いたよ」
身を乗り出すアレグロの後ろで、ファルルとシェントが囁き合う。
光石はその光の色や明るさ、使用期限の長さによって価格が異なる。アレグロの口ぶりから察するに、よほど高価な光石なのだろう。
ややあって、老人はしぶしぶといった様子で四本指を立てた。それを見たシェントが、自分が買うわけでもないのに安堵したように息を吐く。
「ひと月あたり四千か。半年にすると高いけど、思ったほどじゃあ――」
「何を言っている、四万ノーツだろう?」
アレグロが老人に確認すると、老人は無言で首肯した。
「四、万!?」
衝撃のあまりよろめくシェント。
「四万ノーツって高いんですか?」
「……ファルル、金銭感覚の違いが露呈するようなことは、あまり言わないほうがいいぞ……」
今のシェントなら四万ノーツあれば二か月は食い繋げる。つい先日まで飢えで死にかけていたシェントが、アレグロに白の壱とは何か尋ねた。
「強烈な光を放つ光石だ。目が開けられないほどにな」
「え、だったら明かりとしては使いづらいんじゃ――」
そこまで言いかけて、シェントはすぐに思い直した。
「なるほど、目くらましに使うのか」
「以前買ったときには三万くらいだった思うのだが……」
「言ったじゃろう、数が少ないと」
老人はふんと鼻を鳴らした。アレグロが小声でこぼした愚痴を耳ざとく聞いていたようだ。
「そもそも、カデンツァのせいで光石も科石も高騰してるんじゃから」
「カデンツァのせい?」
シェントとアレグロが顔を見合わせる。
「おまえさん、光石と科石が採れる場所を知らんのか」
「ゲネラル鉱山が主要な採掘場ですよね? たしか、パルラにありませんでした?」
シェントは頭の中に地図を描きながら答えた。
チェルティーノ大陸は横から見た犬のような形をしている。その「後足」がグラツィオーソ王国、「頭」がカデンツァ王国、そして「前足」がパルラ共和国である。シェントの記憶違いでなければ、ゲネラル鉱山はそのパルラにあるはずだった。
「その鉱山が買収されたことを知らんのじゃな。三か月前にな、カデンツァに買収されたんじゃ」
「えっ!? そりゃまた、どうして」
「詳しいことは知らんが、半年くらい前だったかの。パルラが魔物の大群に襲われて、カデンツァから援軍が送られたんじゃと。といっても無償ってわけじゃあ、もちろんなかったみたいでの。金を払えんかったパルラは、カデンツァにゲネラル鉱山を渡してしまったんさ」
他国を無償で援助する国などない。援軍を送るのにも金がかかり、その費用を請求しなければ援助した国も損失を被る。
つまるところ、カデンツァ王国は初めからゲネラル鉱山という見返りを求めていたのだろう。
「鉱山がカデンツァのものになったからのう。パルラの鉱夫が職を失いそうになったんじゃが、カデンツァに採掘料を払えば掘れることになってな。光石やら科石やらが高騰してるんは、そのぶんが上乗せされてるせいさ」
「この国は? パルラが魔物に襲われたとき、何もしなかったんです?」
老人に聞きながら、シェントはちらりとファルルを振り返る。
古くからパルラ共和国とグラツィオーソ王国は切っても切れない関係にある。パルラのゲネラル鉱山で採れた石は〈ナ・リーゼ〉に運ばれ、そこで加工された科石や光石がグラツィオーソのリベラに卸されるのだ。
単なる善意で他を助ける国などない。それでも、両国が昔から深い関係にあるのなら話は別である。
何か言おうとしたファルルだったが、老人のほうが先に口を開いた。
「カデンツァのほうが早かったってだけじゃな。だいたい、グラツィオーソに情報が届いたときには、カデンツァが援軍を送ってたって言うんじゃから」
「なんだそりゃ。まるで最初から知ってたみたいだな、パルラが魔物に襲われることを」
「今この国には、同じようなことを言ってるのがたくさんおるよ」
老人は吐き捨てるように言い、アレグロに向き直った。
「で、どうすんじゃ。白の壱は。買わんのか?」
「そうだな、では二つ」
「二つ? 金はあるんかね?」
「一時期はずっと魔獣を狩っていたから」
眉をひそめる老人の前でアレグロは財布を開け、紙幣を十枚取り出した。そのすべてが一万ノーツ札である。
「……」
老人は考え込むような渋い顔を見せたが、黙々と紙袋に光石を入れた。
「全部で五万六千と八百……キリが悪いのう、五万ノーツでいいさ」
「五万? 割り引いてもらえるのはありがたいが、白の壱は二つ――」
「言わんとわからんのかい、一つはおまけさ」
老人は仏頂面のままだった。
「そんな、無料にできるような金額では――」
「いいのさ。魔族が攻めてきたら、こんな年寄り、金なんて持ってても意味ないじゃろうし」
ここに来て初めて老人が見せた笑みは、皮肉めいたものだった。
♪ ♪ ♪
一行は光石店を出て、各々の必要なものを買い揃えるため商店街へ向かった。そこは大小さまざまな店が軒を連ねており、奥の広場で定期市が開かれるときには、さらに人で賑わうそうだ。
誰が言い出したわけでもないが、三人はふらりと広場に立ち寄ってみた。今日は市の開催日ではなく、さらに日も暮れかかっていたが、夕日に染まる広場の一角には人だかりができていた。
さらに近づいてみると、人垣より高いところに整った身なりの男が立っていた。彼は壇上で拳を振りかざしながら、何かを叫んでいる。
「光石の高騰が止まらないのはなぜか!? パルラ共和国が魔の手に落ちたからである!」
「このまま値上がりが続いたら生活できないわ!」
どこからか婦人の悲鳴のような声が続いた。
「ゲネラル鉱山を買収した魔族は、そこから軍事資金を得ようとしているのだ!」
シェントは苦い顔をして立ち止まった。
(これは……アルトに聞かせられる話じゃないな)
早々にこの場を去ろうとするも、当のアルトがついてこない。グラツィオーソ王国の王子は目を見開いて立ち尽くしていた。
「先日、ルーエの闘技場が魔物に襲われたことは、記憶に新しいだろう」
「――魔物じゃなくて魔獣だっての」
引き返すことを諦めたシェントは、男の言葉にうんざりしたように嘆息した。
三人の後ろにも人が集まってきたが、
「そもそも魔族なんて本当にいたのかね?」
「〈魔界大戦〉って、神話みたいなものだと思ってた」
「政府が無能だから仮想敵を作ってるだけだろ」
彼らは演説に対して否定的な会話をするだけで、声を上げることはない。
ふいに壇上の男が口を閉ざした。何事かと沈黙する人々に向けて、彼は一際よく通る声で語る。
「とうとう我が国にも魔の手が迫ってきた!」
周りの人間が息を飲んだのが、シェントにも伝わってきた。
「当然、議会はカデンツァへ進軍する方向で話を進めている。だが、我が国が危険に晒されているというのに、王室は他人事を決め込んでいる! 我々で、国王を説得をしなければ――」
「王都へ行こう!」
壇上の男のものではない一声に、聴衆はすぐさま賛同する。
「そうだ、ルーエに行けばいい!」
「陛下を説得するんだ!」
「カデンツァの魔族を殺せ!」
「いざ、ルーエへ!!」
拳を突き上げ口々に叫ぶ群衆。
シェントの前に立つアレグロが、黒く伸びる自分の影を見つめながらぽつりとこぼす。
「魔族って、何なんだろう」
「え……」
独り言のつもりだったのか、彼女はシェントに一瞥もくれず踵を返した。
シェントはなおも突っ立っているファルルの背を軽く押してやった。ファルルは俯き、髪で顔を隠すようにして歩き出した。
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