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 アレグロと向かい合って座ったシェントが、科術について話を切り出す。

 

「そうだ、科術(かじゅつ)の前に……『精霊』ってのは知ってる?」

 

 反対にシェントに問われ、アレグロは少し考えてから答える。

 

「この世界はすべて精霊からできている、という話か?」

「そうそう。火山は〈土〉と〈炎〉の精霊が結びついたもの――とか、そういうやつ。俺たちの骨と肉だって〈土〉の精霊からできてるし、精神は〈炎〉と〈雷〉が三対二……あれ、逆だっけ?」

 

 シェントはいくつか例を挙げてみたが、アレグロは無表情のまま固まっていた。

 

「ま、まあ、何がどの精霊からできてるかなんて、今じゃほとんど議論されてないか。精霊ってのは目に見えてないだけで、ここ――大気中にもあるんだとさ」

 

 自分たちの周りにも不可視の精霊が漂っていることを示すため、シェントは人差し指をゆらゆらと振った。

 

「議論といえば、精霊の属性についてもいろいろと言われてたんだよな。今は『五大属性論』が定説だけど」

「五大属性……?」

「精霊の種類を五つに分類してるんだ。〈炎〉と〈氷〉、〈土〉、〈雷〉、それから俺が使える〈風〉だな」

 

 過去には〈水〉や〈光〉の存在も主張されていたのだが、論の変遷まで語り出したら日が暮れてしまう。シェントはこれを割愛した。

 

「精霊同士が特定の結合をすると俺たちにも見えるようになる――要するに、物体になるんだ。属性の種類や割合によって、できるものが変わるってわけ。そのなかでも、同じ属性の精霊が集まって一つになったのが、これ」

 

 シェントはテーブルの上に右手を置いた。中指の指輪にはめこまれた緑の石、それこそが――

 

「科石か」

 

 アレグロが呟いて顔を上げた。シェントは首肯し、独り言のように続ける。

 

「科石ができるには核となる何か(・・)が必要らしいんだけど、それが何なのかはわかってないんだよな……」

「そういえば、科器にも科石がついていただろう?」

「ああ、もとは一つだった科石を二つに割って、それぞれ指輪と科器に埋め込んでいるんだ。指輪の科石に呪文(チューン)を唱えると、科器の科石が共鳴して科術が発動されるってわけ」

「なるほど」

 

 真剣な表情でアレグロがうなずく。常に冷めていた彼女が熱心に話を聞く様は、どこか一所懸命で微笑(ほほえ)ましかった。

 シェントは控えめに咳払いし、再び口を開く。

 

「科石には人の声に反応するっていう性質があって、科術ってのはその反応(・・)を利用したものなんだ」

「声に……声って、呪文のこと?」

「そう! ま、その発音がまた難しいんだけどな」

 

 シェントは呪文を学び始めた頃を思い出してぼやいた。呪文には世界共通語にない音が多く、発音を身につけるだけでも一苦労したものだ。

 

「精霊がどう結合しているかによって、唱える呪文も変わってくるんだ。たとえば〈風〉の科石は『ルフ』という呪文に反応しやすいって聞いたことがあるな。俺が使える〈舞風(まいかぜ)〉も――」

 

 シェントは指輪に呪文を唱え始める。

 

「ルフ・ティヒウェル……テクス――」

「……ここで?」

 

 アレグロが眉根を寄せる。

 とっさにシェントは口を閉ざした。呪文の頭だけを(そらん)じるつもりが、癖で無意識に詠唱を続けていたのだ。

 

「危ねっ、こんな狭いところで中級科術なんて発動させたら――」

「あはは、狭くて悪かったね」

 

 調理場から戻ってきた女が笑いながら口を挟んだ。手にしたトレーの上にカップが二つ乗せられている。

 

「あ、いや。そういうつもりじゃ」

「わかってるよ、科術は強すぎる(・・・・)からね。あんたの〈風〉も、洗濯物すら乾かせないんだろ?」

「それは、どういう……?」

 

 アレグロが真面目な顔で聞いてくる。その様子がおかしくて、シェントは小さく笑って答えた。

 

「ただ単に、科術が強すぎて洗濯物を吹き飛ばしてしまうってだけさ。生活のために科術を使うことは〈ナ・リーゼ〉に禁止されてるんだけど、使おうって人も少ないと思うよ。威力が強すぎるんだから」

 

 科術は〈ナ・リーゼ〉によって使用が制限されている。日常生活で科術を使うこと――〈炎〉を使って料理するなど――は、禁止事項の一つであった。

 そもそも、科術の威力が強すぎて使えない(・・・・)のである。

 

「アタシも、ガスレンジがあるおかげで科術に頼ろうなんて考えたこともないねえ。祖母の時代は薪を使ってたから、湯を沸かすのも大変だったみたいよ」

 

 女は二人の前にカップを置き、再び調理場へ引っ込んだ。

 ここの職人は木工も得意なのだろうか。木をくり()いて作られたカップを持ち上げれば、独特な茶の香りが鼻腔をくすぐった。口に含んでみると微かな苦味が広がったものの、これはこれで癖になりそうだ。

 

「俺の国なんてまだ薪だったんだけどな。そもそもガス管なんてものが通ってなかったし。それでも、街灯はガスから光石に戻したところが多いみたいだけど」

「……」

 

 カップを覗き込んでいたアレグロもようやく口を付け――上目づかいにシェントを見た。

 

「どうした? まだ他に聞きたいことでも――」

「苦い」

 

 アレグロは女の姿がないことを確認し、

 

「飲ん、で」

 

 シェントのほうへカップをしずしずと追いやった。

 

「残すと気の毒だから……」

「そ、そうだな」

 

 アレグロから(たく)されたカップを、シェントは穴が空くほど凝視する。

 

(……え、アレグロどこに口つけた? アレグロは気にしないのか? ――まさか、味がおかしかったとか。だから毒見させたいのか!? 多少の毒なら大丈夫だけど……)

 

 ――これは、間接キスってやつではなかろうか。

 変に意識するあまり明後日の方向に沈思黙考していたが、思い切って茶を喉に流し込んだ。()せかけて一度大きく咳払いした。

 それきり、振り子時計の時を刻む音だけが響く。

 

「……」

 

 周りに誰もいない二人だけの空間というのは、あの森以来ではなかろうか。沈黙を破るため、シェントは次の話題はないかと頭を悩ませる。

 ちょうどそのとき、助け船とばかりにアルトが杖を持って戻ってきた。

 

「ありがとう、助かった!!」

「な、何がですか……?」

 

 困惑するアルトの首には独特なゴーグルが下がっていた。二枚重なって入っているレンズは差し替えが可能で、さらに枠のダイヤルを回すと、レンズに描かれた目盛りや印の見え方が変わる。呪文(チューン)を唱えるときに着用するそのゴーグルは、(ロッド)と同じく科術士特有の装備である。

 その杖には、先端と少し下に黄金色の澄んだ石――〈雷〉の科石が()まっていた。杖の全長は床からアルトの首下までと長いが、金属製のそれは伸縮させることができる。

 アルトは短くした杖を腰に吊るし、夫婦に頭を下げる。(ウィッグ)を被り直すと、一行は鍛冶屋を(あと)にした。