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 交易都市リベラ。

 グラツィオーソ王国南西の海岸、切り立った崖の上に形成されたその都市は、〈ナ・リーゼ〉にとって唯一の停泊地でもある。海の向こうに浮かぶソリトス大陸こそ、世界管理機関〈ナ・リーゼ〉の拠点なのである。

 その小大陸への上陸は〈ナ・リーゼ〉にしか許されておらず、リベラの崖下にある船着き場から〈ナ・リーゼ〉以外の船が出ることはない。

 活動の子細や構成員など、機密が多い〈ナ・リーゼ〉だが――科石や光石の加工を担っているのも彼らである。科術を発動できるように、または明かりとして使えるように調整し、ここリベラに卸しているのである。

 

 交易の中心地となった結果、リベラの道は他に類を見ないほど整備された。特に大通りは馬車が二台並べるほどの道幅があり、歩行者はその脇を行き交っている。

 

「そのー……馬車で行くのか?」

 

 リベラに到着した翌朝。

 辟易(へきえき)するほど晴れ渡った青空の下、乗り物に弱いシェントは沈んだ声でファルルに尋ねた。

 先陣を切って歩いていたファルルは、立ち止まって地図とにらめっこしている。

 

ここ(リベラ)は広いですからね。城壁に囲まれた王都(ルーエ)よりも」

 

 入市審査を行うための門塔はあるが、海や峡谷といった地形のおかげで、リベラは城郭都市を形成する必要がなかったのである。

 なるほど、とシェントは呟いた。たしかにルーエでは四、五階建ての集合住宅が所狭しと並んでいたが、リベラではそこまで高い建物は見当たらない。せいぜいが三階建てか。

 普通は道を挟んで向かい合わせに建物が並ぶものだが、シェントたちが歩いている道の反対側は、何もない土手になっていた。

 

「馬車でもいいのですが、乗りたいものがあって――」

 

 ファルルの声は、しかし遠くから聞こえてきた轟音に掻き消される。

 

「な――っ!?」

 

 闘技場での騒動が思い起こされ、シェントとアレグロは(そろ)って身構えた。周囲を見渡すも、地響きのようなその音に驚いている人は意外に少ない。

 地面まで微かに揺れ始めると、

 

「あ! あれです!!」

 

 ファルルが向かいの土手を指した。

 

「…………は?」

 

 視界に飛び込んできた光景にシェントは目を丸くした。

 大きな車輪の付いた鉄製の小屋――さながら馬のいない馬車――が、列を成して土手の上を走ってきたのだ。

 先頭の屋根にある煙突からは、真っ白な煙が長々と吐き出されている。中には人がいるらしく、おめかしした子どもが窓から手を振っていた。

 その乗り物は、もうもうとした煙に包まれながらあっという間に過ぎ去っていった。

 構えを解き、手を小さく振り返していたアレグロが、唖然(あぜん)とした表情のままファルルの背に問う。

 

「なんだ、今のは……」

「蒸気機関車です」

「ジョーキキ……?」

「〈炎〉の科術で水を温めて、その蒸気で動く乗り物のことです。汽車とも言いますね」

 

 くるりと向き直り、こともなげに答えるファルル。

 この国の技術力に感心していたシェントが、「でも」と口を挟む。

 

「科術って、そういうこと(・・・・・・)には使えないんじゃなかったっけ?」

「はい。ですが、〈ナ・リーゼ〉が世界にとって有益だと判断した場合は、例外だそうで。この蒸気機関車があれば、〈ナ・リーゼ〉からリベラに卸される科石や光石を、他国にも迅速に供給できるんです」

 

 ファルルは姿勢を正し、誇らしげに説明を続ける。

 

「数年前、我が国の技術者が蒸気機関という機械を発明し、乗り物への応用を考えました。それを安定して動かすために、動力源として〈炎〉の科石の使用を提案したんです」

 

 再び後ろを振り返ったファルルは辺りを見渡しながら、「ゆくゆくは国境へ向けて線路を敷く計画もあります」と付け加えた。

 

「ありました! あっちが乗り場みたいです」

「ちょっと待て。まさかとは思うけど……あれに乗るとか言わないよな?」

「初めは物しか運んでいなかったので、人が乗れるようになったのはつい最近なんですよ。僕も今まで乗ったことがなくて」

 

 照れくさそうにはにかんだファルルが足早に乗り場へ向かう。汽車とやらに乗れるのがよほど嬉しいのか、亜麻色の髪がぴょこぴょこと跳ねる。

 シェントは軽く額を押さえ、息を長く吐き出した。

 

 

 

 

 

 汽車を降りると、そこは――

 

「いや、どこだここ」

 

 周囲の景色を確認することなく、シェントは(うめ)くように言った。

 乗り物が苦手な彼にとって汽車はてきめん(・・・・)だった。短時間乗っただけで見事に酔ってしまったのだ。

 

工場(こうば)区です。科石が卸される関係もあって、リベラには鍛冶職人が多いんですよ。簡単に言えば、科器も武器に科石を埋め込んだものですから」

 

 ファルルは淀みなく答え、「も、もうすぐ着きますよ!」とシェントを励ました。その言葉を信じ、シェントはふらふらになりながらも歩き続ける。

 真夏のものとは違う涼やかな風に吹かれ、シェントの乗り物酔いも醒めてきた頃、

 

「ここです」

 

 三階建ての家屋の前でアルトが地図を畳んだ。開け放たれた扉の奥から、鍛冶屋よろしく槌音が響いてくる。

 中に入ってみると、黒い短髪の女が扉近くのカウンターで書き物をしていた。来客に気づいた彼女は「いらっしゃい」と愛想のいい笑みを浮かべる。

 

「アンタ、お客さん!」

 

 彼女が奥の作業場に向かって声を張り上げれば、夫らしき大柄の男が汗を拭いながらやってきた。

 

「どっちの修理だ?」

 

 彼の言葉は、若草色の布に包まれたシェントの長物(ハルバード)と、アレグロの腰の刀を指していた。

 

「いや、俺たちじゃなくて……」

 

 シェントが目配せすると、ファルルは一歩前に出て悠然とお辞儀し、「今晩は雷雨になりそうですね」と挨拶した。

 天気が崩れそうな気配はなく、世間話にしては妙である。アレグロが目を瞬かせる横で、シェントは「符丁か」と独りごちた。

 

「……殿下、なのですか?」

 

 符丁は伝わったようだが、夫婦は虚をつかれたような顔でファルルを見つめている。「は、はい」と背筋を伸ばすファルルの後ろで、アレグロが口を開いた。

 

アルト(・・・)、髪」

「あ!? (ウィッグ)付けたままだぞ!」

「え、ええっ!?」

 

 二人に指摘され、アルトは亜麻色のそれをあたふたと外した。(あらわ)になった黒髪を手櫛(てぐし)で整え、目を泳がせる。

 

「ええと、これには訳が……」

「も、申し訳ございません。無礼をお許しください」

「いえ、その、僕のほうこそ」

 

 男に(うやうや)しく頭を下げられ、かえって狼狽(ろうばい)するアルト。

 

「最終調整をするので、こちらへ」

「は、はいっ」

 

 挨拶もそこそこに外へ出る男の後ろを、アルトは小走りでついていった。残された二人に女は「裏に庭があって、そこで調整するのさ」と説明した。

 

「調整? 儀礼用なら見た目だけの……いや、見た目重視の杖じゃないんですか?」

 

 儀礼に使われる杖ならば、王族としての権威を示すため華美な装飾が(ほどこ)されているのではないか。シェントはそれを「見た目だけ」と表現してしまったが、鍛冶職人には失礼だと気づき言い直した。

 女は気にも留めずに、むしろからりと笑う。

 

「アタシもそう思ってたんだけどね、実戦に耐えうるものを作ってほしいと頼まれたのさ。――しかしまあ、あんたたちみたいな若い子と来るなんて。いつもは兵士を護衛につけてたみたいだけど」

「いつもは?」

 

 アレグロが怪訝(けげん)そうに聞き返した。

 

「いつもと言っても、アタシは今の国王陛下と王弟殿下のしか見ていないんだけどね。豪華な馬車に乗った王子様が、兵士をたくさん連れて杖を取りに来てたのさ。だから通過儀礼ってのは、毎回お祭りみたいになってたんだけどねえ」

「……だったら、どうして今回はいつもと違うんだろうな」

 

 シェントはカウンターに右手をついたまま扉を振り返った。当然ながらアルトが戻ってくるにはまだ早い。

 ふいに女がその手に触れた。視線はシェントの中指の指輪に向けられている。

 

「あんた、〈風〉の科術使いなのかい?」

「あ、はい。科術使いは珍しいって、よく言われますね」

 

 中途半端ですし、とシェントは自嘲した。科術士のような専門性はなく、シェントは少し科術が使えるだけの斧槍(ハルバード)使いだ。科術使いとはそういうものである。

 

「科術使いもだけど、〈風〉はそういないよ? 〈風〉の科石は(もろ)くって、加工が難しいんだって。だからなかなか流通しないのさ」

 

 その口ぶりから察するに、彼女はシェントが〈風〉の科器を所有していることに驚いたようだ。希少な〈風〉の科石は高値で取り引きされるため、わざわざ〈風〉を選ぶ科術使いは少ないのである。

 

「前から疑問に思っていたのだが――」

 

 そう前置き、アレグロは背伸びするとシェントの耳元に口を寄せる。

 

「科術の仕組みって……?」

「お、おう!?」

 

 (ささや)かれ、シェントは耳を押さえて数歩後ずさった。

 彼女のほんのり紅潮した頬を見るに、アレグロは科術に疎いことを少し恥じているようだった。まあ、赤くなっているのはシェントも同じなのだが。

 科術を生活に利用することは〈ナ・リーゼ〉に禁止されている。科術士や科術使い以外は科術に馴染(なじ)みが薄いため、アレグロに知識がないのも当然だった。

 

「そうだ、お二人さん。そこの椅子にでも座ってて? お客様にお茶の一杯も出さないなんて、アタシとしたことが……」

 

 女は窓際の小さなテーブルを指すと、調理場のある一階奥へ消えた。