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「ん……」

 

 ベッドの軋む音にアレグロは目を覚まし、声を漏らした。

 仰向(あおむ)けになったまま天井へ手を伸ばすが、その輪郭はぼんやりとしか捉えられない。まだ朝を迎えていないのだと気づき、アレグロは手を引っ込めて身を硬くした。

 暗闇は苦手だ。嫌でも『あの日』を思い出してしまう。

 

(そうだ、光石)

 

 アレグロは寝返りを打ち、ベッドの上端に置いていた光石を手に取った。

 科石には質があり、上質なものほど科術も強力になる。一方で質の悪いものは科術を発動できず、石は発光するだけにとどまる。そのような「科石のなりそこない」にも「光石」と名がつき、明かりとして活用されるようになった。

 アレグロは横になったまま光石を口に寄せる。科石による科術の発動と同様に、光石を使う際にも呪文(チューン)の詠唱が必須である。

 

「リュイザン・エラ」

 

 科石とは異なり、光石を光らせるための呪文はすべての石で共通である。

 光石に灯った柔らかな光は、しかし数秒も経たないうちに消えてしまった。

 

(やっぱり……あれから半年経ったんだから、仕方ないか)

 

 アレグロは嘆息(たんそく)し、ベッドの端に腰かける。寝返りしただけで軋んだベッドが一層大きな音を立てた。

 光石は数か月から半年で使えなくなってしまう。アレグロがこの光石を購入したのも半年前だった。

 

 仲間が離散した『あの日』から半年、アレグロは一人で旅を続けてきた。

 

 それまでアレグロは〈コード〉という旅集団の一員だった。幼い頃の記憶を失い、両親の顔すら知らないアレグロにとって、自分を拾ってくれた〈コード〉は家族も同然だった。

 実のところアレグロは、前回の武闘大会で〈コード〉の試合を観戦していたのだ。当時十二歳だった彼女は、試合で無双する仲間(〈コード〉)に憧憬を抱き、次の大会では自分と勝負してほしいとせがんだ。

 仲間もその約束を覚えているはずだった。『あの日』の数日前だって仲間に稽古をつけてもらったのだ。

 だからアレグロは武闘大会に一縷(いちる)の望みを(たく)した。仲間との再会を渇望して。

 

 闘技場前に参加者の表が貼り出された直後には、アレグロは人々に押しつぶされながら、何度も何度も仲間の名前を探した。何度探しても、見知った名前は一つもなかった。

 光石なしでは文字も読めないほどに日が暮れ、気がつけば宿のベッドに倒れ込んでいた。一度沈んで昇った太陽は天上近くにあり、眩しさで真っ白になる頭の中で声が響いた。

 いっそ死んでしまおう、という無感情な声が。

 

 武闘大会出場の前日。

 アレグロが森に足を踏み入れたのは、かつての仲間のもとへ行くためだったのだ。

 

 周囲を警戒せずに森を歩くのは初めてだった。穏やかに降り注ぐ木漏れ日。懐かしさを覚える腐葉土の匂い。どこからか聞こえてくる細流(せせらぎ)。どれも仲間を失ってからしばらく忘れていたものだ。

 宛てもなく彷徨(さまよ)っていると、森が青白く輝き始めた。

 

蛍苔(ほたるごけ)……』

 

 心では死を望んでいても、身体は水を欲するらしい。喉が渇いたアレグロは蛍苔の光に誘引され、やがて少し開けた空間に辿(たど)り着いた。

 辺り一面が青く光り、中央には泉がある。感動すら覚えたアレグロは、袖が濡れるのも構わずに水を(すす)った。

 そのときだった。

 背後の木々が音を立てたのは。

 

(魔獣か)

 

 アレグロは薄く笑った。

 あとは抜け殻らしく突っ立っているだけで、ひと思いに殺してくれるはずだ。

 

『危ない!!』

『――っ!?』

 

 突として投げかけられた少年の声。

 弾かれたように抜刀したアレグロは、一切躊躇(ためら)わずに魔獣を斬り伏せた。

 さらには。

 

(やってしまった……)

 

 ふと我に返ると、草陰から現れた声の主に刀を突きつけていた。

 彼の左手には斧槍(ハルバード)が握られている。自分を助けるため飛び出してきた少年に、アレグロは反射的に刀を向けてしまったのだ。

 内心ではひどく狼狽(うろた)えていたが、

 

『おまえ……()()ぎか?』

 

 口をついて出た言葉はとんでもないものだった。

 加えて、アレグロは彼の存在に勘づいていたかのような嘘をついた。そうでもしなければ愚行の言い訳ができなかった。

 それから少年と二言三言交わしたものの、話の内容までは記憶していない。彼の前から脱兎のごとく逃げ出したときには、もう会うこともないと思っていた。

 その少年、シェントとこうして旅することになったのは、いったい何の因果か。

 

(だま)しておきながら、今さら信じろなんて』

 

 彼がアルトに言い放った言葉を――からかい(・・・・)のようでもあったが――脳裏で反芻(はんすう)し、アレグロは(ひざ)を抱えて顔を伏せた。

 

「信じて、とは言わないから……」

「アレグロ?」

 

 ふいに聞こえた声に、アレグロの肩がびくりと震える。

 

「……シェント、か?」

「やっぱり。起きてたんだ?」

 

 カーテン越しに射し込む月の光が、床で眠る二人の影を浮かび上がらせている。その一つが揺れたかと思うと、シェントが(おもむろ)に身を起こした。寝る間際に(ほど)かれた銀髪を月光が滑り落ちていった。

 

「ごめ――すまない、私のせいで起こしてしまって」

「いや、俺も目が覚めちゃっててさ。気になって眠れないというか……」

「気になる? 何が」

「ん? …………いやいやいや何も!?」

 

 顔の前で手を振り、必死になって否定するシェント。

 何もないとは到底思えない反応だ。

 

「何かあるのだろう? 魔獣のことか? あの、闘技場での」

「えっ、ま……? そ、そうだ! 枕が合わなくってさあ」

「まくら?」

「ちょっと薄いんだ。たぶん。きっと」

 

 アレグロは脱力した。

 眠れないほど気づかわしいことといえば、闘技場の事件について、一人で考え込んでいるのではなかろうか。何か隠している情報があるのでは、と食いついた自分が馬鹿らしい。

 腹立ち紛れにアレグロは魔獣の羽毛が入った枕をぽすぽす叩いた。

 

「……私のはそこまで薄くないと思うが。貸そうか?」

「い!? いや、いいから!」

「投げる?」

「待っ、騒いだらアルトが起きちまうだろっ」

「それもそうだな」

 

 枕を抱え込んでベッドから降りたアレグロは、しかし何かに(つまず)き、

 

「!? 大丈夫、か……?」

 

 抱えていた枕ごとシェントに受け止められた。

 

「……平気」

 

 アレグロはシェントの顔も見ずに枕を押しつけ、さっさとベッドに潜り込む。

 鼓動の音が耳につくのは、暗闇で転びそうになって吃驚(びっくり)したせいだろう。シェントにも聞かれていたかもしれない。

 

(やっぱり私は、強くなんてなれない)

 

 仲間と離れ離れになってしまったが、強くあろうと――(ひと)りでも生きていこうと心に決めた。

 その決意が揺らぎ、〝死〟という逃げ道に迷い込んだときに出逢(であ)ったからなのか。隠しているつもりの弱さも、シェントには見抜かれている気がする。

 だから彼と向き合うのは苦手だ。反面、弱さを知っているのだから、多少のわがままも許してくれるのでは、という淡い期待もある。

 仲間との離別を受け入れるまでの、短い間でいい。すぐにまた、一人でも生きていくから――

 アレグロは夢の中にいるであろうシェントとアルトに願った。

 

(私を信じて、とは言わないから)

 

 騙されていてほしい、と。