11
「ん……」
ベッドの軋む音にアレグロは目を覚まし、声を漏らした。
仰向けになったまま天井へ手を伸ばすが、その輪郭はぼんやりとしか捉えられない。まだ朝を迎えていないのだと気づき、アレグロは手を引っ込めて身を硬くした。
暗闇は苦手だ。嫌でも『あの日』を思い出してしまう。
(そうだ、光石)
アレグロは寝返りを打ち、ベッドの上端に置いていた光石を手に取った。
科石には質があり、上質なものほど科術も強力になる。一方で質の悪いものは科術を発動できず、石は発光するだけにとどまる。そのような「科石のなりそこない」にも「光石」と名がつき、明かりとして活用されるようになった。
アレグロは横になったまま光石を口に寄せる。科石による科術の発動と同様に、光石を使う際にも呪文の詠唱が必須である。
「リュイザン・エラ」
科石とは異なり、光石を光らせるための呪文はすべての石で共通である。
光石に灯った柔らかな光は、しかし数秒も経たないうちに消えてしまった。
(やっぱり……あれから半年経ったんだから、仕方ないか)
アレグロは嘆息し、ベッドの端に腰かける。寝返りしただけで軋んだベッドが一層大きな音を立てた。
光石は数か月から半年で使えなくなってしまう。アレグロがこの光石を購入したのも半年前だった。
仲間が離散した『あの日』から半年、アレグロは一人で旅を続けてきた。
それまでアレグロは〈コード〉という旅集団の一員だった。幼い頃の記憶を失い、両親の顔すら知らないアレグロにとって、自分を拾ってくれた〈コード〉は家族も同然だった。
実のところアレグロは、前回の武闘大会で〈コード〉の試合を観戦していたのだ。当時十二歳だった彼女は、試合で無双する仲間に憧憬を抱き、次の大会では自分と勝負してほしいとせがんだ。
仲間もその約束を覚えているはずだった。『あの日』の数日前だって仲間に稽古をつけてもらったのだ。
だからアレグロは武闘大会に一縷の望みを託した。仲間との再会を渇望して。
闘技場前に参加者の表が貼り出された直後には、アレグロは人々に押しつぶされながら、何度も何度も仲間の名前を探した。何度探しても、見知った名前は一つもなかった。
光石なしでは文字も読めないほどに日が暮れ、気がつけば宿のベッドに倒れ込んでいた。一度沈んで昇った太陽は天上近くにあり、眩しさで真っ白になる頭の中で声が響いた。
いっそ死んでしまおう、という無感情な声が。
武闘大会出場の前日。
アレグロが森に足を踏み入れたのは、かつての仲間のもとへ行くためだったのだ。
周囲を警戒せずに森を歩くのは初めてだった。穏やかに降り注ぐ木漏れ日。懐かしさを覚える腐葉土の匂い。どこからか聞こえてくる細流。どれも仲間を失ってからしばらく忘れていたものだ。
宛てもなく彷徨っていると、森が青白く輝き始めた。
『蛍苔……』
心では死を望んでいても、身体は水を欲するらしい。喉が渇いたアレグロは蛍苔の光に誘引され、やがて少し開けた空間に辿り着いた。
辺り一面が青く光り、中央には泉がある。感動すら覚えたアレグロは、袖が濡れるのも構わずに水を啜った。
そのときだった。
背後の木々が音を立てたのは。
(魔獣か)
アレグロは薄く笑った。
あとは抜け殻らしく突っ立っているだけで、ひと思いに殺してくれるはずだ。
『危ない!!』
『――っ!?』
突として投げかけられた少年の声。
弾かれたように抜刀したアレグロは、一切躊躇わずに魔獣を斬り伏せた。
さらには。
(やってしまった……)
ふと我に返ると、草陰から現れた声の主に刀を突きつけていた。
彼の左手には斧槍が握られている。自分を助けるため飛び出してきた少年に、アレグロは反射的に刀を向けてしまったのだ。
内心ではひどく狼狽えていたが、
『おまえ……追い剥ぎか?』
口をついて出た言葉はとんでもないものだった。
加えて、アレグロは彼の存在に勘づいていたかのような嘘をついた。そうでもしなければ愚行の言い訳ができなかった。
それから少年と二言三言交わしたものの、話の内容までは記憶していない。彼の前から脱兎のごとく逃げ出したときには、もう会うこともないと思っていた。
その少年、シェントとこうして旅することになったのは、いったい何の因果か。
『騙しておきながら、今さら信じろなんて』
彼がアルトに言い放った言葉を――からかいのようでもあったが――脳裏で反芻し、アレグロは膝を抱えて顔を伏せた。
「信じて、とは言わないから……」
「アレグロ?」
ふいに聞こえた声に、アレグロの肩がびくりと震える。
「……シェント、か?」
「やっぱり。起きてたんだ?」
カーテン越しに射し込む月の光が、床で眠る二人の影を浮かび上がらせている。その一つが揺れたかと思うと、シェントが徐に身を起こした。寝る間際に解かれた銀髪を月光が滑り落ちていった。
「ごめ――すまない、私のせいで起こしてしまって」
「いや、俺も目が覚めちゃっててさ。気になって眠れないというか……」
「気になる? 何が」
「ん? …………いやいやいや何も!?」
顔の前で手を振り、必死になって否定するシェント。
何もないとは到底思えない反応だ。
「何かあるのだろう? 魔獣のことか? あの、闘技場での」
「えっ、ま……? そ、そうだ! 枕が合わなくってさあ」
「まくら?」
「ちょっと薄いんだ。たぶん。きっと」
アレグロは脱力した。
眠れないほど気づかわしいことといえば、闘技場の事件について、一人で考え込んでいるのではなかろうか。何か隠している情報があるのでは、と食いついた自分が馬鹿らしい。
腹立ち紛れにアレグロは魔獣の羽毛が入った枕をぽすぽす叩いた。
「……私のはそこまで薄くないと思うが。貸そうか?」
「い!? いや、いいから!」
「投げる?」
「待っ、騒いだらアルトが起きちまうだろっ」
「それもそうだな」
枕を抱え込んでベッドから降りたアレグロは、しかし何かに躓き、
「!? 大丈夫、か……?」
抱えていた枕ごとシェントに受け止められた。
「……平気」
アレグロはシェントの顔も見ずに枕を押しつけ、さっさとベッドに潜り込む。
鼓動の音が耳につくのは、暗闇で転びそうになって吃驚したせいだろう。シェントにも聞かれていたかもしれない。
(やっぱり私は、強くなんてなれない)
仲間と離れ離れになってしまったが、強くあろうと――独りでも生きていこうと心に決めた。
その決意が揺らぎ、〝死〟という逃げ道に迷い込んだときに出逢ったからなのか。隠しているつもりの弱さも、シェントには見抜かれている気がする。
だから彼と向き合うのは苦手だ。反面、弱さを知っているのだから、多少のわがままも許してくれるのでは、という淡い期待もある。
仲間との離別を受け入れるまでの、短い間でいい。すぐにまた、一人でも生きていくから――
アレグロは夢の中にいるであろうシェントとアルトに願った。
(私を信じて、とは言わないから)
騙されていてほしい、と。
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