誰ガ為ノ狂想曲

 

 フィーネに呼び出された砂原には廃墟がぽつんと建っていた。

 壁はほとんど崩れ去っており、天井に至っては一切残っていない。砂を足で払い退けてようやくタイル貼りの床が見えた。点在している柱の多さから推測するに、朽ちる前は相当大きな屋敷だったようだ。

 シェントは斧槍(ハルバード)を握り直し、前を睨み据えた。声が届くか届かないかの距離に少女が一人佇んでいる。銀髪を肩の上で揃え、真っ白なドレスを着た少女。


「フィーネ……」
最後に(・・・)一つだけ聞いてあげるわぁ」


 フィーネが良く通る声で問いかける。


「――アレグロをこちらに渡すつもりはないかしら」
「渡さねえよ」


 シェントは獰猛に笑って右手の指輪を口元に寄せる。しかし呪文(チューン)はまだ唱えない。彼女の魔術がわからないうちは、下手に動くわけにいかなかった。


「いいわよ、貴方に消えてもらうからぁ!!」


 フィーネがシェントを真っ直ぐに指す。爪先が白く発光し、矢のようなものが打ち出される。〈光〉の魔術だろうと直感したシェントは、即座に〈舞風〉の核呪文(コア・チューン)を唱えた。同時に斧槍を横薙ぎに振るえば、風が激しく吹き荒れる。

 二人の間で〈光〉の矢と〈風〉の竜巻が衝突し、瞬時に弾けた。


「ふふ、やるじゃなぁい!」


 攻撃が(かわ)されてもなお、フィーネの声は明るかった。

 彼女の手から次々と繰り出される〈光〉の矢を、シェントは〈舞風〉で打ち消していく。


 ――このままでは(らち)が明かない。


 相手の攻撃方法が判明したところで、シェントは一つ勝負に出た。〈舞風〉を発動させ、それを追うようにしてフィーネのほうへ駆ける。

 その行く手を拒むように、地面から空に向かって幾筋もの〈光〉が伸びた。


「な――!?」


 立ち止まったシェントは背後を一瞥(いちべつ)し、愕然(がくぜん)と目を見開いた。〈光〉の柱が自分を取り囲むように立ち並んでいたのだ。
 〈光〉の檻に囚われ、焦りの表情を浮かべるシェント。落ち着け、と己に言い聞かせ、冷静になれば疑問が浮かんできた。檻はフィーネ自身の攻撃も阻むはずだ。攻撃が届く間際に柱を消すつもりなのか。

 シェントは二、三歩後ずさり、ふと天を見上げた。檻とはいえ頭上に天井はなく、そこには青空が広がるだけ。


(まさか――)


 フィーネの次なる手を推察し、とっさに身をかがめて右腕を頭上に掲げる。
 直後、〈光〉の刃が雨のように降り注いできた。


「ぐあぁぁぁ――ッ!!」


 右腕に深々と〈光〉が刺さる。

 〈光〉は肩や背中、腿を(かす)め、血が重たい音を立てて床に滴り落ちる。


「くっ、そ……」


 ギリッ、と歯噛みするシェント。一拍遅れて襲ってきた激痛に耐えながら、血で染まった右手を口元に寄せる。


「ツァート・ヴィ・エーチル」


 上級科術〈鎌鼬(かまいたち)〉――斧槍から猛烈な勢いで吹き出る鎌状の〈風〉が、〈光〉の檻を両断していく。

 さらなる攻撃を仕掛けられるより先に、〈舞風〉を発動させる。〈風〉は竜巻となり、砂や塵を派手に巻き上げながらフィーネのほうへ迫っていく。その砂埃に身を隠しながら、シェントは軋む体に鞭打ちながらひた走る。

 舞い上がる砂埃の中、時折〈光〉がきらきらと輝く。すべてを〈風〉で弾けるわけもなく、〈舞風〉を掻い潜ってきた〈光〉の矢が数本、シェントの身体を掠めていった。


()っ! はぁっ……こ、の――っ!!」


 息はとっくに上がっていた。呼吸するだけで痛みに苛まれ、視野が狭まっていく。それでもシェントは足を止めず、呪文を唱えるため右手を構えた。〈鎌鼬〉で砂の幕を斬り払い、すぐ近くにいるフィーネを叩き斬る算段だ。

 しかし、ふいに目の前で閃光が弾けた。


「――っ!?」


 文字通り一瞬にして視界が白く塗り潰される。血を流しすぎたせいもあってか、天地が反転するような眩暈(めまい)に襲われる。平衡感覚を取り戻せないまま、その場にがくりと片膝をついた。

 次の瞬間、シェントは目を見開いて仰け反った。


「がぁ――っ!!」


 背中の一点に走る衝撃。直後に焼けるような痛み。

 シェントは激痛に顔を(しか)めながら、弾かれたように振り返る。背中に右手を回すと、ぬるりと血がまとわりついた。

 〈光〉が刺さったらしい。骨や内臓は傷ついていないようだが、浅い傷でもなかった。

 

「フィー……ネ……」


 目が眩んだ隙に、背後に回り込んだのだろう。数歩離れたところに、フィーネは薄く笑みを浮かべて立っていた。

 何が狙いなのか、彼女は空中に文字を書く真似をしている。


「なに、を……」


 シェントは眉を(ひそ)めた。魔術を使うために、今さら儀式めいた動作が必要なのか?

 ――なんにせよ、これ以上攻撃されるのはまずい。
 術の発動を妨害しようと、シェントは斧槍を杖代わりによろよろと立ち上がる。

 フィーネは目を細め、その白く細い腕を外側へ払った。指先から一瞬にして〈光〉の束が紡がれ、(しな)りながら勢いよく伸びていく。


「ちっ!」


 とっさに断ち切ろうとするシェントだが、反対に〈光〉の鞭に左手を弾かれ、斧槍を取り落とした。
 しかも鞭は一本だけではない。続けざまに迫ってきた二本目が、瞬く間にシェントの首に絡みつく。


「か……っ」


 首を絞められて急速に意識が遠退いていく中、シェントは震える左手で鞭を掴んだ。だが、片手だけでは到底引き千切れそうにない。最初の攻撃で重傷を負った右手は、持ち上げることも叶わずだらりと垂れている。

 ――打つ手なし、か。
 頭の片隅で他人事(ひとごと)のように思った矢先、鞭の締めつけがわずかに緩んだ。絶望的な状況に変わりはないが、シェントは反射的に息を吸う。
 刹那。


「――ッ!!」


 シェントの苦鳴は声にならなかった。またも首を絞められたかと思うと、脚に、腹に、腕に〈光〉の矢が突き刺さる。
 鞭が首からするりと離れ、(くずお)れるシェントの身体を強烈に弾き飛ばした。


「がは――ッ!」


 柱に背中を強打し、そのままシェントはずるずると座り込んで(こうべ)を垂れた。


「ちょっとぉ、これくらいで死なないでよ?」


 呆れたように小さく肩を(すく)め、フィーネはシェントに向かってゆっくりと歩き出す。


(……俺だって、その気はねえ、よ……)


 俯いたまま内心悪態をついたシェントだが、すでに痛みは感じなくなっていた。それよりも失血による脱力感のほうが強い。


「あの子が苦しんだ分、貴方も苦しめばいい」
「……?」


 フィーネが何を言いたいのか、そもそも“あの子”とは誰なのか。シェントは彼女の言葉をすぐには理解できなかったが――


「貴方のせいよ? ……あの子も魔族なのに」


 ――ああ、そうか。


(俺がアレグロと一緒にいることが、面白くないんだろうなあ……)

 

 旅の途中、特にアレグロが自身の正体を打ち明けたあと、シェントは幾度も自身に問うてきた。


 ――自分は、彼女と共にいてもいいのだろうか。


  彼女には彼女の道があるはずだった。

 家族同然だった〈コード〉の仲間と旅を続けていく道。

 あるいは魔族として生き、同じく魔族であるフィーネと共に歩む道。
 それらの道を断ってしまったのは自分だというのに、図々しくも彼女の隣に並んだままで、果たして許されるのだろうか。

 何度問いかけても答えは出ない。出せるはずもない。答えを与えられるのは彼女(アレグロ)だけなのだから。


 それでも自問する度に心を支配するのは、醜い独占欲。
 誰にも彼女を渡したくない――

 

「……結局……俺たちは、さ。アレグロの、こと……考えて、なんか……いないんだ、よ……」


 足音が止み、シェントの頭上にフィーネの影が落ちる。


「はあ? 何言っているのよ。貴方と一緒にしないで!」
「――ッ!」


 フィーネに髪を掴まれ、シェントは強引に顔を上げさせられた。彼女の赤い瞳の奥には、憎悪の焔が揺らめいている。
 しかしシェントはにやりと笑って言葉を続ける。


「……違った、か? お前、の狙い……は……アレグロの、魔力だけ(・・)だろ……?」
「あ、貴方……わざと言っているでしょう!?」


 フィーネが悲鳴じみた声を上げる。振り上げた左手に〈光〉の剣が出現する。
 間髪入れずにシェントは右の拳を床に叩きつけた。中指に()まる指輪、その科石の割れる音が、微かに聞こえた気がした。

 

 烈風が二人の間に吹き荒れた。

 

「な、何!?」


 シェントの髪から手を離したフィーネが、焦ったように後ずさる。
 その隙にシェントは腰のナイフを抜き、彼女に突進した。


「え――?」


 こぼれ落ちそうなほど目を見開くフィーネ。

 追いすがってきたシェントを突き飛ばし、自らの腹部へ視線を落とす。


「『窮鼠(きゅうそ)猫を噛む』って言葉、知らないのかよ……っ」

 

 シェントはふらりと立ち上がると、片頬を上げて言い放った。

 残る力を振り絞って突き出したナイフが、フィーネの脇腹に深々と刺さっていた。


「あ……」


 もはやフィーネの瞳は何の感情も映していない。腹部から生えているナイフを、ただぼんやりと見つめている。

 

「……な、んで」

 

 その顔が急に青ざめたかと思うと、フィーネは一気にナイフを引き抜いた。

 血の噴出を想像していたシェントは、


「は――?」


 異様な場景に驚愕の声を洩らした。
 ナイフを抜いても血は一筋も流れず、フィーネのドレスには穴が開いているだけ。さらには、その部分だけ時が戻るかのように、穴はみるみるうちに塞がっていく。


(回復、だと!? 魔術ってのは、なんでもアリかよ……)


 もはやシェントに打つ手は残されていない。

 今度こそ確実に、殺される。
 ここまでか――と軽く目を閉じたシェントの耳に届いたのは、自らの勝利を(うた)うフィーネの笑い声でも、死の宣告でもなく。


「どうして……血が出ないの……? ……嘘よ、嘘」


 先までとは別人のようなフィーネの乾いた声に、シェントはうっすらと瞼を開ける。


「メーノ……どこにいるの!?」


  フィーネはシェントを見もせずに、絹を裂くような声で叫んだ。

 彼女の姿が水面に映る像のように揺らめいた、次の瞬間。


「――なんだったんだ……?」


 あっけにとられるシェントの前から、フィーネは一瞬にして消えていた。

 


2019年